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大学を創った人々   地域研究家内田克彦さん

2022年9月16日

 「麒麟のまちアカデミー」鳥取市尚徳大学郷土コース第5回講座が9月16日、鳥取市民会館大ホールで開催されました。講師は地域研究家、鳥取県を舞台に!歴史大河ドラマを推進する会共同代表の内田克彦さん。テーマは「この学校も鳥取県出身者が創った!?」です。
 内田さんは「鳥取のことを調べるのが趣味」と言います。郷土の傑出した人物を調べるうちに学校創設に関わった人が多いことに気づきました。「明治期の鳥取は教育レベルが高く勤勉な人が多かった」と言います。
 まず、明治大学を創設した岸本辰雄について語りました。1871(明治4)年、岸本は貢進生として大学南校(のちの東京大学)に入学します。貢進生制度は明治政府が各藩の推薦を受け日本国のリーダーを養成する制度です。長男は家督として跡目を継ぎ、優秀な次男三男が「藩・地域の代表として」中央で活躍します。司法省に勤務しフランス留学後判事任官、1881(明治14)年に明治法律学校(のちの明治大学)が開学します。
 岸本は法制局参事官、明治法律学校校長、大審院判事、東京弁護士会会長等歴任し、民法・商法両法典の実施可否について激しい論争が繰り広げられた法典論争の中心人物でした。
 次に、中央大学の創設に関わった奥田義人です。岸本・奥田とも鳥取藩士の三男です。奥田は英吉利(イギリス)法律学校(のちの中央大学)を設立、国の行政官として拓殖務次官、農商務次官、文部大臣等を歴任したほか衆議院議員や東京市長を務めており政治家としても活躍しました。両者とも近代国家形成期の明治に法律の分野で大学創設等の大きな足跡を残しています。
 このほかに、永井幸次(現大阪音楽大学)、藤田文蔵(現女子美術大学)、山本藤助(現帝塚山大学)、加藤広吉(現金城大学)など10人を紹介しました。
 内田さんは「教育レベルの高い人たちは、東京でも『久松学舎』などで郷土の若者と切磋琢磨した。鳥取を背負う気概があったのだろう」と言います。歴史に埋もれている郷土の傑人を掘り起こし知ってもらう。内田さんは使命感を持ち取り組んでいます。

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