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鹿野城主亀井玆矩(かめいこれのり)の夢   郷土史研究家田中精夫さん

2021年12月01日

 第2回鹿野学講座が、12月1日鳥取市鹿野地区公民館で開催され、亀井玆矩(かめいこれのり)を研究する田中精夫さんが「王舎城の夢~鹿野城主亀井玆矩の韓国出兵~」をテーマに講演しました。王舎城は玆矩が鹿野城につけた名称です。
 田中さんは昭和50年代に玆矩に興味を持ちはじめ、400年前に築造された大井出用水が現在まで使われていることの驚きと、今も敬愛されていることに感心したことが始まりです。その後友人と歴史大河ドラマの誘致活動を始め、玆矩に深く関わることになります。
 玆矩の治世は領民のための善政が行われ、その業績は後世に語り継がれています。当初一万三千八百石の小大名でしたが、城下町の整備、朱印船貿易、産業振興、銀山経営、大井出用水開削、夏泊の海女、文武の教え、文化芸術の振興等に取り組みました。
 小国ではありましたが幕府から朱印状を受け、タイや東南アジアとの貿易を行ったり、新田の開発では日光池、内海、湖山池の干拓や薩摩から杉苗を取り寄せ鷲峰山に植栽しました。銀山経営では伯耆国大倉山(日南町)に銀山を開き繁栄を極めたといいます。大井出用水は7年の歳月をかけ千代川から水を引き今も町の中を縦横無尽に流れています。
 文禄・慶長の役で豊臣秀吉が大陸侵攻に踏み切ったのは玆矩が大きく関与しているといいます。秀吉の参謀として明国軍の加勢を防御する役割を担ったり西生浦や蔚山の城の攻略等の功績をあげています。加藤清正で有名な虎狩も最初にしたのは玆矩でその後多くの武将が真似て行ったものだそうです。
 亀井玆矩を大河ドラマに推す田中さんは「採用されるには市民が盛り上がるイベントが必要」と、まもなく築城450年を迎える鹿野城の復元を提言、自ら「慶長期鹿野城想像図」を作成しました。鹿野公民館長村上光重さんは「35年ほど前に城山に復元しようと活動したが詳細な図面がなく断念」したことを述べ「亀井さん検定『中級編』」の準備をはじめていることを紹介しました。
田中さんは、今年7月「鹿野城主亀井玆矩の韓国出兵 王舎城の夢」(福井印刷)を出版しました。韓国との友好関係を願う田中さんの渾身の一冊です。自ら20に及ぶ韓国のゆかりの城を歩いた記録は紀行文としてもおもしろく、玆矩の魅力を感じるものです。興味のあるかたは読んでみたらいかがでしょうか。

田中精夫さん

「王舎城の夢」田中精夫著

鹿野学講座の様子

鹿野学講座の様子

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