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360年の時を超えて     長瀬歴史研究会

2021年3月26日

 今から360年前の江戸時代、鳥取県の3大河川のひとつ、天神川で「百姓普請」による直流化工事が行われ、県中部の治水・防災・農地開発などが進みましたが、その先人たちの偉業をたたえる顕彰碑ができ、3月26日に現地で除幕式がありました。
 顕彰碑が設けられたのは、天神川下流右岸の桜づつみ公園(湯梨浜町はわい長瀬)です。大きな台座の上に「天神川 直流化事業顕彰碑」と彫った御影石の石板(横2.5m、縦1.4m、厚さ35cm、重さ3.5t)が載っています。台座を含めて、高さ約3mの立派な石碑です。宮脇正道町長が揮ごうしました。顕彰碑建立発起人会(吉田正義代表)によると、総事業費は300万円。地元や県民の寄付を募り、町の半額助成で実現できたといいます。
 天神川は三朝町の津黒山が源流です。倉吉市街地で小鴨川と合流し、北栄・湯梨浜町境で日本海に注いでいます。流路32㎞。県内3大河川のなかでは最も短く、流れは速く、はんらんの歴史でした。戦国時代は天神・小鴨川合流点近くにあった城下町・見日千軒が流され、倉吉のまちが打吹山のふもとへ移るきっかけになったと伝えられています。
 とくに上流の三朝や関金などでは、たたら製鉄に伴うかんな流しが盛んで、土砂の流出、河床の上昇などで上井付近から下流ははんらん、乱流がしばしばでした。しかも当時の天神川下流には桜づつみ公園あたりに大きな岩山があり、川は右折東進し、東郷湖から流れ出る橋津川に合流しており、水はけの悪い川でした。1657年の洪水で大損害が出たのを機に、その岩山を崩して天神川を直進させ、日本海に直流させることになったといいます。
鳥取藩の家老日記によると、工事は地元農民の労力が頼りの「百姓普請」。1661年まで4年間にわたって続いたといいます。この直流化工事によって、その後の天神川の改修が進み、県中部の治水や水害防止、羽合・北条平野や東郷湖周辺の新田開発、橋津藩倉を核にした水運整備など、県中部発展の基礎がつくられたと言われています。
 シニアバンクに登録する長瀬歴史研究会(吉田代表)は、長年の調査や古文書解読などで「百姓普請」の歴史を突き止め、先人たちの偉業をたたえるとともに、郷土愛や防災意識を高めるために、顕彰碑を建てることにし、昨年暮れから町民有志で発起人会をつくって募金活動を続けていました。
 代表の吉田さんは「百姓普請ということで、鳥取藩は記録に残しませんでした。明治時代以降は戦争の連続。戦後は復興に懸命で、平成になって足元に目が向くようになり、先人たちの並々ならぬ偉業にやっと気づきました。360年かかりました」と、埋もれた郷土史に感慨を新たにしていました。

天神川直流化事業顕彰碑除幕式に集まったみなさん

天神川直流化事業顕彰碑の除幕

昔、天神川は橋津川へ流れ込んでいた(東大史料編纂所蔵の東郷荘園図)

日本海に向かって真っすぐ流れる天神川(対岸の森は岩山山頂にあったという北野神社)

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