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足元掘れば、泉わく     青木清輝さん・「勝見名跡誌」を歩く会

2021年3月19日

 鳥取市鹿野町の古社・鷲峯神社で神池(しんち)が見つかったのを記念して3月18日、小鷲河公民館で「鷲峯神社を考える」シンポジウムがありました。地元の歴史グループ・勝見名跡を歩く会(田中正人代表)が開いたもので、山陰海岸ジオパークの〝山の文化資産〟として売り出すことにしています。
 鷲峯神社は鷲が羽を広げたような鷲峰山(921m)がご神体です。因幡誌によると、神代の昔、八千矛神(大己貴命)が天の羽車大鷲に乗り、妻を求めて降りたった山とされ、山頂近くの御冠嶽に社殿があったそうです。その後、社殿は山のふもとに移り、1612年に2代目鹿野城主・亀井政矩が現在地に建てたといいます。
 社殿前には、江戸時代末の石工・川六(青谷出身)がつくった狛犬(こまいぬ)が飾られています。1体は龍、もう1体は狆(ちん)がモデルとされ、日本を代表する狛犬の傑作とされています。昨年暮れ、その境内の湿地から泥に埋まった神池(約200㎡)が見つかりました。地元の庭園文化研究家の青木清輝さんらの調べで、石の配置や石組みなどは神仙思想に基づく日本庭園そのものとわかり、地域挙げて狛犬とともに売り出すことにしています。
 その手始めとして、公立環境大の中橋文夫教授(景観学)を招いてシンポジウムを開きました。中橋教授は「因幡は地下水や佐治川石などに恵まれ、あちこちに見ごたえのある庭園が多い」と指摘し、ジオパーク内の庭をネットワークして巡る観光戦略を訴え、「因幡の宝は足元にある。掘れば、泉がわいてくる」と出席者を励ましました。
 青木さんによると、鳥取藩士の上野忠親が江戸時代中頃に書いた「勝見名跡誌」には、鷲峯神社に池がなかったものの、明治8年の神社絵図には池が描かれており、作庭したのは京都で庭園づくりを学んだ一天和尚(若桜町・正栄寺14代住職)ではないかと見ています。青谷町の願正寺の庭も一天和尚作と伝えられています。
 田中代表は鷲峯神社秘歌を紹介しました。「ワシノヤマ、ユウソノモリ、モウノスワ、ヤマイヲハラウ、ハハキキノサト」と記されたお札です。田中代表によると、「幾重もの山々がそびえる鷲峯の山で、素戔嗚尊は磐座にこもり、母木の里の病を払う」という意味だそうで、京都の町家では、この呪文のようなお札を鬼門などに張って厄除けをしていたそうです。鷲峰山は信仰の山、その霊験は京都まで届いていたということになります。

青木清輝さん

田中正人さん

川六作のこま犬

鷲峯神社

鷲峯神社の神池

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