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この人ありて童謡・唱歌の鳥取   内田克彦さん

2021年1月08日

 コロナウイルスの感染拡大防止のため、テレビ講座を続けている鳥取市民大学の令和2年度最後の収録が1月8日、市役所のスタジオであり、地域研究家の内田克彦さんが「童謡・唱歌のふるさと鳥取は、同郷の村岡範為馳に触発されて実現した」と説きました。
 鳥取市民大学のテレビ講座は昨年6月から始まりました。放送しているテレビ局はCATVの「いなばぴょんぴょんネット」とユーチューブです。これまで「元気に100まで暮らすための運動と食事」「因幡・但馬の麒麟獅子舞」など4本を収録し、放送しています。最終回の今回は元鳥取県職員の内田さんが東京勤務時代の体験をもとに、「東京で見つけた鳥取」について語りました。2月14日から視聴できます。
 それによると、東京で活躍した鳥取県人のうちで、忘れてならないのは①東京府知事の松田道之(明治12~15年)②東京市長の奥田義人(大正4~6年)③東京都長官の西尾寿造(昭和19~20年)―など。
 松田は明治維新の元勲・大久保利通に見いだされて琉球や鳥取などの仕置きで腕を振るいます。大久保は西南戦争の翌年(明治11年)、紀尾井坂で暗殺されますが、その襲撃には元鳥取藩士の浅井寿篤が加わっていました。奥田は文部大臣で、中央大学創設者の一人です。西尾は陸軍大将。戦争遂行のため、東京府と東京市を統合(昭和18年)し、都政を運営しました。
 奥田のライバルには明治大学をつくった岸本辰雄がいます。銀座・有楽町の交差点には明大発祥の碑があります。岸本は明治新政府が全国から優秀な人材を集めた「貢進生」。河原町出身の村岡範為馳もその一人でした。村岡は物理学者で、日本で初めてX線写真を撮影した人ですが、できたばかりの東京音楽学校(現・東京芸術大学)の学長も務めました。
 村岡は東京音楽学校の意義を鳥取で説き、生徒集めに奔走しました。これに触発されて永井幸次や田村虎蔵や岡野貞一らが東京音楽学校に進みました。のちに永井は大阪音楽大学、田村は「金太郎」や「浦島太郎」などの童謡、岡野は「ふるさと」「おぼろ月夜」などの唱歌をつくりました。鳥取市のわらべ館は、この3人を中心に鳥取の音楽家たちを顕彰しています。
 ちなみに、田村の歌碑「金太郎」が筑土八幡神社(新宿区)にありますが、神社裏に住んでいたのが縁で設けられたそうです。また、岡野は日本基督教団本郷中央教会でオルガン奏者を務めていましたが、夏目漱石の「三四郎」には、その教会から漏れる音楽のことが載っています。
 内田さんは鳥取ゆかりの地を求めて、坂の多い東京を自転車で回ったそうです。

内田克彦さん

「金太郎」の楽譜が入った田村虎蔵顕彰碑(筑土八幡神社)

明治大学発祥記念碑

本郷中央教会(写真は鳥取県のホームページから)

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