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江戸時代に戻せた   小谷惠造さん

2020年9月26日

 琴浦町の花見潟墓地にある赤碕塔が陰陽師・安倍晴明の供養塔だったことが分かり、命日の9月26日、供養祭がありました。新たな晴明ゆかりの地の誕生で、厄払いや占いの聖地として注目されそうです。
 花見潟墓地は赤碕港の近く、日本海に沿って広がり、2万余りの墓があります。自然発生墓地では日本最大級とされ、観光地にもなっています。その一角に高さ約3mの石造の宝塔が2つあり、そのうちの1つが赤碕塔として鳥取県の保護文化財になっています。
 地元の郷土史家・小谷惠造(よしぞう)さんは一昨年、これらの宝塔2基は平安時代の陰陽師の供養のためにつくられたことを古書研究から突き止め、発表しました。船上山や大山で修行する修験者たちが建てたそうで、赤碕塔が安倍晴明(921~1005年)、もう一つが芦屋道満(生没年不詳)のものといいます。
 その根拠になったのが江戸時代に発行された観光案内の「伯陽六社道の記」や「伯路紀」(いずれも県立図書館蔵)。そこに「晴明だうまんの封じをけるよしにて石をたためる数尺の墳(つか)二つあり」とあり、明治時代の赤碕郷土誌にも同様の記事が載っていることもわかりました。
 これらの宝塔は、これまで鎌倉時代に建てられた古いものというだけで、だれが何のために建てたのか不明のままでした。保護文化財に指定されていない道満の宝塔は、崩れるままになっています。
 ところで、陰陽師は中国伝来の陰陽道に通じた人です。天文学や占いで国家や人の行動の吉凶禍福を判定する術で、奈良時代から多くの陰陽師が国家の運営や地相などを占い、疫病神退治などを行ったといいます。その第一人者が晴明で、ライバルが道満でした。今日でも晴明ブームが映画や漫画、スケートなどで続いています。
 小谷さんは地元の岩田弘さんや谷雄一さんらと、晴明命日の日に陰陽師2人の供養祭を思い立ち、町民に呼びかけたところ、およそ30人が集まりました。専称寺の根井(ねのい)一彦住職の読経とともに、「陰陽師の力を借りて、この世に流行する悪疫コロナを退治してほしい」とお願いし、手を合わせました。
 小谷さんは「赤碕塔の真相を明らかにできた。歴史認識を江戸時代に戻せてよかった」と喜んでいました。供養祭は毎年開くそうで、修験の山・船上山の再評価やご利益のある地域おこしに期待が集まります。

安倍晴明の供養祭に集まったみなさん

安倍晴明供養祭(花見潟墓地)

お墓が広がる花見潟墓地

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