とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」
0857-59-6336
お問合せ お気に入り

HOME活動紹介

さあ、マスクして、まちへ!     米子観光まちづくり公社

2020年6月27日

 米子市の国史跡・米子城とその城下町を歩く「米子城歴史ウオーク」が、梅雨の晴れ間の6月27日にありました。子どもからお年寄りまで200人余りがマスクして参加し、コロナ自粛からの解放を祝うとともに、〝歴史ミュージアム〟の米子散歩を楽しみました。米子城魅せる!プロジェクト実行委員会・新日本海新聞社主催、鳥取県社会福祉協議会共催。
 ウオークは午前と午後、米子市役所を発着点に米子城と城下町それぞれでありました。ガイドしたのは米子観光まちづくり公社(川越博行理事長)の永井宏一郎・中原斉・山本千恵子・鷲見武志さんら12人。米子城の遺跡発掘現場では市職員が説明しました。
 大会事務局によると、定員200人を先着順で公募したところ、わずか5日間でいっぱいになり、申し込みは300人を超えたといいます。参加者の内訳は市内外からそれぞれ半々、とくに鳥取市からの参加が目立ったといいます。米子城人気もさることながら、「イベントがないので、開いてくれてうれしい」「閉じこもっていたので出かけたかった」などの声が多く寄せられたといいます。
 コロナ自粛から解放されて、参加者は元気いっぱい。それぞれグループに分かれて、マスク姿で足取り軽く出発していきました。米子城は三の丸跡の湊山球場で内堀が見つかり、史跡拡張が勢いづいています。その活用イメージ図もでき、米子城整備が動き出す運びです。また、江戸時代からの町割りを今に伝える城下町の方も、昔と今を重ね図した「古今絵図」が仕上がり、城めぐり、まち歩きともに格段に楽しくなりました。
 さて、米子城の今回の見どころは、球場レフトスタンド外側で見つかった内堀です。三の丸と武家屋敷を区画する防御用の堀で、長さ33m、深さ4m程度と推定されています。参加者は城郭確定の現場に立ち、本丸、二の丸、三の丸、内膳の丸などの立地場所を確認し、カメラに収めていました。米子城跡の調査はまだまだ続きます。
 一方、城下町も見どころたくさんでした。圧巻は9カ寺がズラリと並ぶ寺町。その中心を日蓮宗の3カ寺が占め、そのまた中心には城下町をつくった横田内膳村詮の墓所・妙興寺があり、遺品も多くあります。隣の妙善寺には米子城を築城した吉川広家と親交があった加藤清正も訪れたといい、戦国末期が色濃く残っています。
 米子市やその周辺には、身内がなくなると、極楽浄土への往生を願って、家族ぐるみで、お地蔵さんに札打ちして回る風習が残っています。この日も加茂川沿いのお地蔵さんや寺町の寺々では何組かの札打ち家族の姿がありました。400年続く古い町には昔ながらの庶民文化も息づいています。

加藤清正公をまつる妙見堂(妙善寺)

加茂川は米子城の外堀だった

米子城活用イメージ図(三の丸広場)

米子城の内堀発掘現場

一覧に戻る