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鳥取ゆかりの力士たち       油野利博さん

2020年2月23日

 鳥取地域史研究会(小山冨見男会長)の総会が2月23日、鳥取市の県立博物館であり、県体協名誉会長の油野利博さん(鳥取大学名誉教授)が鳥取の相撲の歴史やゆかりの力士について記念講演しました。
 油野さんは大学時代、箱根駅伝などに出場した長距離ランナー。鳥取大で教壇に立つかたわら、鳥取市陸上競技協会長などを務めてきた陸上競技の専門家です。収集家でもあり、陸上競技の書籍にとどまらず、出身の石川県が相撲の盛んな土地柄とあって、力士の錦絵も集め、鳥取県の相撲研究を続けています。
 鳥取県も相撲の盛んなところです。鳥取市には相撲の歴史をつくったとされる野見宿祢をまつる大野見宿祢命神社があり、江戸時代には歴代藩主が力士を積極的に取り立てました。お抱え力士たちは鳥取藩の角輪紋(◇〇)を化粧まわしにつけて相撲を取り、鳥取藩の勢いを大いにPRしました。
 鳥取藩と同様に多くの藩が、お抱え力士の獲得に熱心だったといいます。主な力士では仙台藩伊達家の谷風梶之助、出雲藩松平家の雷電為右エ門、久留米藩有馬家の小野川喜三郎などが活躍しました。
 油野さんは日本相撲協会や郷土史などの資料をもとに、鳥取藩で活躍した2人の桟シ(かけはし)初五郎▽4人の荒岩亀之助▽8人の真鶴政吉▽2人の真力鉄蔵―について、それぞれの本名や出身地などを調べ、力士年表にまとめました。力士は出世に連れてしこ名を変えるため、追跡しやすくするために年表にしたそうです。なかなかの労作です。
 それによると、2代目桟シ初五郎(久米郡曲村)は4代目佐渡ヶ嶽、初代真鶴政吉(日野郡二部村)は3代目朝日山を継ぎ、初代荒岩亀之助(会見郡安曇村)などとともに寛政時代(1789~1801年)の土俵を沸かせたといいます。
 余談ながら、寛政時代の鳥取藩主は池田治道。治道の娘たちが雄藩に次々と嫁いだ頃です。長女の三津姫は長州藩主・毛利斉煕、二女幸姫は佐賀藩主・鍋島斉直、4女弥姫は鹿児島藩主・島津斉興にそれぞれ嫁ぎ、幸姫は直正、弥姫は斉彬の明治維新の立役者を生み、育てたのは有名な話です。土俵での藩政PRがネットワークづくりに奏功したのかもしれません。
 明治時代以降では勝山芳蔵(鳥取市湖山)が初代尾車文五郎を名乗り、昭和になって横綱琴桜傑将(倉吉市)が12代目佐渡ヶ嶽を継ぎました。

油野利博さん

桟シ初五郎の錦絵

角輪紋をデザイン化した鳥取市の記章(左)と鳥取大学の紋章

大野見宿祢命神社(鳥取市徳尾)

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