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背負ったのは、お母さん      碧川かた研究会・APON

2019年10月25日

 童謡「赤とんぼ」をつくった三木露風の母・碧川かたの生涯をNHK朝のテレビ小説でドラマ化してもらおうと活動している碧川かた研究会(四井幸子さん主宰)は10月25日、鳥取市の県立博物館で「赤とんぼの歌を読み解く」という討論会を開き、「背負ったのはお母さん、多くの人がそうイメージしている」とまとめました。
 碧川かた(1872~1962年)は鳥取藩家老の娘です。兵庫県・龍野の三木家に嫁いだものの、亭主の放蕩で離縁され、その後、看護師になり、米子市出身の新聞記者・碧川企救男と再婚。子育てのかたわら、婦人参政権獲得運動などの先駆者になります。かたは2度の結婚で5人の子どもをつくりましたが、最初の子が童謡「赤とんぼ」の作詞者・三木露風です。
 露風(1889~1964年)は詩作の才に恵まれ、大正時代の詩壇で北原白秋とともに「白露時代」を築きました。幼くして母親と離別した体験をもとに大正10年、「赤とんぼ」を作詞、友人の山田耕筰が曲をつけました。昭和33年に音楽の教科書に採用されると、国民が愛する童謡のひとつになりました。
  夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
  山の畑の桑の実を 小籠につんだは まぼろしか
  十五で姐やは嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた
  夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ 竿の先
   (県立博物館にある露風自筆の「赤とんぼ」から)
 問題は歌詞のなかに出てくる「負われて見たのは」の一節です。負ったのはお母さんか、子守りの姐やか。文学者や童謡研究家などを巻き込んで長く論争が続いています。ここはドラマのシナリオづくりに重要なシーンとあって、碧川かた研究会は「赤とんぼ」の歌の真相解明に乗り出しました。
 討論会に招いたのは東京都・三鷹市の文学者で「三木露風の歩み」の編著者・福嶋朝治さん、長崎県・南島原市の童謡唱歌研究家の飯田清親さん、兵庫県・たつの市の露風旧居宅に住む湯口壽夫さん。福嶋さんは詩のなかに登場しないお母さんが背負ったと考えるのは不自然、湯口さんは三木家が姐やを雇った形跡はなく、嫁に行ったのはお母さんの再婚のこと―などと白熱の議論が進みました。最後に福嶋さんが谷村新司のヒット作「いい日旅立ち」の一節「母の背中で聞いた歌を道連れに」を引き、「歌は受け取る人の心の問題。日本人の多くは母の背中で赤とんぼを見たとイメージしており、その心地よさが愛唱歌になったと考えたい」と議論を収めました。
 討論会の前には岩美町の音楽グループ・APONが歌とフルートで「赤とんぼ」を演奏し、研究会の活動にエールを送りました。11月9日、10日には鹿野町でたつの市の市民劇「赤とんぼよ 永遠に」の上演(14場)があります。

「露風を背負ったのはだれか」について話し合う(右から福嶋さん・飯田さん・湯口さん)

司会したのは碧川かた研究会の内田さん(左)と佐々木さん

碧川かたさん

三木露風

露風自筆の「赤とんぼ」(県立博物館蔵)

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