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万葉の里には文化財がいっぱい     いなば国府ガイドクラブ

2019年10月15日

 鳥取市国府町・万葉の里の観光地を案内する、いなば国府ガイドクラブ(沖廣俊代表)は10月15日、町内にある国指定の文化財をめぐる体験・研修ツアーを行い、ふるさとの魅力を再認識しました。
 国府町は因幡国庁があったところ。国守の大伴家持が1300年ほど前、万葉集の巻末を飾る「新しき年のはじめの初春の 今日降る雪のいや重(し)け吉(よ)事」という歌を詠んだことで有名です。その万葉集が新元号「令和」出典のもとになり、いなば万葉の里は観光客が急増、ガイドクラブも大忙しです。
 そこでガイドの研修を兼ねて文化財めぐりの運びになったものです。沖代表が「万葉の里には鉄道も高速道路もないが、文化財だけはいっぱいある」と言うように、町内には遺跡や史跡を中心に国・県・市指定の文化財が38カ所(点)もあります。
 そのうち、ツアーは①伊福吉部徳足比売墓跡②学行院にある木造薬師如来・両脇侍座像・木造吉祥天立像③栃本廃寺跡④因幡国庁跡⑤梶山古墳⑥鳥取藩主池田家墓所⑦旧美歎水源地水道施設⑧林田家住宅―8カ所の国指定文化財を1日かけて回りました。
 真っ先に訪れたのが宮ノ下小学校の裏山にある伊福吉部徳足比売墓跡です。標高およそ100m。ロープを頼りに急斜面を登らなければならない険しいところでしたが、この墓跡を見れば、万葉の里の物語がよくわかります。山道は苦手という人は因幡万葉歴史館で解説を聞きましょう。
 伊福吉部氏は古代の豪族です。渡来人だったといわれ、宇倍神社を管理したり、銅鉱などを朝廷に献上しています。娘の徳足比売は文武天皇に采女(女官)として仕えましたが、大和で亡くなり、火葬にされて国元に送られ、埋葬されました。その墓です。青銅の骨蔵器のふたには108文字が刻まれており、従七位の高い身分だったそうです。出脇典子さんがガイドしました。沖代表によると、この墓跡や改装墓―伊福吉部氏墓地―宇倍神社は真西一直線上に並んでいるそうです。
 徳足比売が火葬にされたのは710年のこと。家持が因幡国守として赴任してくる50年ほど前の出来事です。ガイドの木村肇さんによると、魚などの彩色壁画や8角形の古墳で知られる梶山古墳は、伊福吉部氏の第26代都牟自臣が被葬者ではないかとみています。7世紀は伊福吉部氏の黄金時代だったそうです。
 殿ダムの上流、大茅地区には栃本廃寺があります。7世紀末~10世紀初めにあった寺院らしく、だれが創建したのかは不明ですが、塔の心礎2基が露出しており、米子市の上淀廃寺のように2つの塔が並立する豪勢な寺院だったようです。周辺には銅山などがあり、ここも伊福吉部氏一族が関係していたのかもしれません。山田順二さんがガイドしました。

伊福吉部徳足比売の墓跡をガイドする出脇典子さん

梶山古墳を案内する木村肇さん

(池田家墓所)明治維新の原動力になった薩摩藩と鳥取藩の関係を説く沖廣俊さん

因幡万葉湖(殿ダム)で記念撮影するみなさん

栃本廃寺は茅葺きの塔だった?

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