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接近戦だった鳥取城攻防戦        久松山を考える会

2019年5月05日

 鳥取市の歴史博物館「やまびこ館」は5月5日、久松山と太閤ケ平で歴史ツアー・山城合戦イベントを開きました。戦国時代にあった鳥取城攻防戦を再現するもので、およそ20人が参加しました。久松山を考える会(亀屋至郎会長)などが協力しました。
 鳥取城攻防戦は1580年と81年の2回あり、天下統一を目指す織田軍の羽柴(豊臣)秀吉が総大将になって、毛利軍の鳥取城を攻めました。2回目の攻城戦では、毛利軍は吉川経家が籠城し、織田軍は圧倒的な兵力で包囲し、兵糧攻めを行いました。この間、およそ4カ月。城内は悲惨な飢餓状態に陥り、経家の自刃で攻城戦を終えました。鳥取の「渇(かつ)え殺し」として有名です。
 この戦で秀吉の本陣になったのが、久松山から1.5km離れた太閤ケ平です。久松山頂とほぼ同じ高さにあり、ここを拠点に鳥取城を囲む山々の尾根に無数の曲輪を配置し、本陣の前線には空堀などを造って総延長700mを超す防衛ラインを設け、籠城の毛利軍を圧迫しました。その前線から鳥取城本丸までは、わずか500mほどの近さだったといいます。太閤ケ平と呼ばれる本陣は50m四方の広さで、土を3~5m掻(か)き上げて防御壁にしています。日本最大級の土の陣城とされ、織田信長着陣に備えて造られたといわれており、鳥取城とともに国の史跡になっています。
 さて、山城合戦イベントは太閤ケ平から太鼓やほら貝などを打ち鳴らし、久松山頂からドラム缶をたたいて聞こえるかどうかを試すもので、いずれの試みも大成功でした。とくに太鼓の響きはよく通りました。鳥取城攻防戦では織田軍の昼夜を問わない、歌舞音曲の心理戦が繰り返されたことでしょう。また、青翔開智中学・高校の池田夏暉教諭が野球で鍛えた大声を張り上げたところ、太閤ケ平―久松山頂で通じましたので、本物の攻城戦も大層にぎやかなものだったかもしれません。
 このイベントを支えたのが久松山を考える会のみなさんです。亀屋会長はじめ、奥田博昭副会長、木村昭彦事務局長、岡素直理事の4人が太閤ケ平の蜂の巣を事前に退治するなど安全確保に努めました。また、鳥取市教育委員会文化財課の細田隆博専門員が鳥取城攻防戦をガイドしましたが、細田専門員は「但馬の天空の城・竹田城が映画のロケで有名になり、大勢の人が押しかけているように、太閤ケ平もテレビドラマなどで広く知られるところとなれば、たくさんの歴史ファンが殺到することでしょう。現地は粘土質の赤土なので、保存が心配です」と懸念尽きない様子でした。

久松山を考える会のみなさん

久松山の鳥取城本丸に向けてほら貝を吹き、歓声を上げる

兜をかぶって太鼓を打ち鳴らすと…

太閤ケ平に向けていざ出陣!

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