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大伴一族は文武両道だった          甲斐清明さん

2018年11月10日

 大伴家持生誕1300年を記念した因幡万葉歴史館(鳥取市)の万葉集講座は11月10日、3回目の講義があり、境港市の元高校教師・甲斐清明さんが「大伴氏一族の歌」について話し、大伴一族は文武両道だったと解説しました。
 今回の講座は甲斐さんが講師を務める境港市民図書館の古典文学講座のみなさんが大挙して押しかけ、超満員のなかで開かれました。甲斐さんも大張り切りで、飛鳥・奈良時代の言葉と人々の動きについて説明しました。
 それによると、伴造は天皇家を支える勢力で、なかでも大伴氏は最大勢力でした。国造は地方の支配者、その最古参は出雲大社の千家で天皇家よりも歴史は古いそうです。造(みやつこ、御家津子)とは愛しい家の子の意味。大伴氏は九州から来た天孫族一の子分で、大和平定後は天皇家の近衛兵になります。大和政権の軍事の主力は大物主命(大国主命)につながる物部氏。大和はもともと出雲系勢力の土地でした。
 甲斐さんは大伴氏の立場や役割を紹介したうえで、継体天皇の即位、蘇我氏の権力増大、日本初の女帝・推古天皇即位、遣隋使、乙巳の変、大化の改新、壬申の乱など飛鳥・奈良時代の出来事をたんねんに解説しました。
 このなかで甲斐さんは、飛鳥・奈良時代の天皇24人中、女性天皇は重祚を含めて8人いたことを説明し、「推古天皇は十七条憲法の制定や遣隋使、皇極天皇は乙巳の変、持統天皇は藤原京遷都、元明天皇は平城京遷都や古事記完成、元正天皇は日本書紀完成、孝謙天皇は東大寺大仏完成など数々の実績を残している。今の日本も女性天皇を認めてもよいと思う」と持論を展開しました。
 さて、万葉集です。甲斐さんによると、採録されたのは大伴氏一族が24人、藤原氏一族が13人。家持が編集に深くかかわっていたとはいえ、大きな差です。武門の大伴氏は文化の素養も兼ね備えた文武両道の人たちだったようです。その代表歌人は家持、叔母の坂上郎女、父親の旅人、いとこの池主、弟の書持などで、大伴氏一族で万葉集約4500首のうちの15%ほどを占めているといいます。
 甲斐さんは酒を愛した旅人の歌を紹介して講義を終えました。
「験(しるし)なきものを思わずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし」
つまらぬことで思いわずらうことをやめて濁り酒を飲もうよ、といったところでしょうか。さあ、今日も飲みましょう。

 ※写真上:甲斐清明さん

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