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中海・宍道湖にいた徐福集団          田中文也さん

2018年11月03日

 邪馬台国山陰説を提唱する山陰古代史研究会の田中文也代表は11月3日、米子市のふれあいの里であった古代史講座で、「徐福こそ大国主、国津神となって日本国をつくり、中海・宍道湖周辺にいた」という新説を発表しました。青谷上寺地遺跡で暮らした住民も渡来系だったことが明らかになっており、その関連も含めて山陰の古代史解明が注目されます。
 田中さんによると、世界約200カ国の中で建国の歴史が解明されていないのは日本くらいです。古事記や日本書紀、出雲風土記などに書かれている神話や伝承が戦前は「皇国史観」に利用されたり、戦後はフィクションとして切り捨てられて研究されなかったことが原因です。邪馬台国も伝聞でまとめられた「魏志倭人伝」を根拠に論争が展開され、研究者1人1説の状態といいます。
 そこで田中さんは、日本の古代史研究は①魏志倭人伝をめぐる邪馬台国論争②記紀や風土記をめぐる古代史論争③秦の始皇帝と徐福―の3分野あると指摘し、いずれも関連しながらも相互検証が進んでいないのが現状で、3分野をまとめて研究する「古代史大統一理論」が必要といいます。
 田中さんは邪馬台国山陰説の研究を通じて、日本各地で国づくりをした国津神は大国主命と少名彦命で、その正体は秦の始皇帝をだまして中国から五穀と百工と数千人の少年少女を連れてきた徐福だったのではないかという仮説をもとに、足掛け5年にわたって島根県立大学と共同で徐福研究をしてきました。
 それによると、中国では1982年に江蘇省韓輸県に徐阜村(徐福村)があったことが確認され、徐福は史実の人と認められ、教科書にも載る有名人ですが、日本では学会などに架空説が根強く、ほとんど徐福研究は進んでいないそうです。ただ、その渡来の伝承地は全国に30カ所近くあり、観光地化を目指しているといいます。
 また、中国の国書には「徐福は平原光沢の地にとどまり、日本で王になった」とあり、その候補地は①吉野ヶ里周辺(佐賀県)②中海・宍道湖周辺(山陰)③琵琶湖周辺(滋賀県)―の3カ所が推定されているそうです。田中さんは記紀神話の8割は山陰の話で、弥生時代の遺跡や発掘の成果、大国主命や少彦名命にちなむ「神無月神在月」の伝承などから見て、中海・宍道湖の可能性が高いとみています。「山陰に徐福集団の渡来伝説がないことこそ来た証拠」と田中さん。秦の始皇帝をだまして、理想の国づくりにやってきたのですから、それは秘密だったはずです。
 徐福集団は古代日本に青銅器や鉄器や漢方医学や水稲稲作などを持ち込み、日本各地に分布したのでしょう。青谷上寺地遺跡の人骨から結核、糞石から寄生虫の痕跡なども検出されていますが、これらも徐福集団がもたらしたものかもしれません。

 ※写真上:田中文也さん

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