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脱却依頼心始為自治民        伊藤康さん

2018年10月07日

 今年は明治150年。これを記念して鳥取市の鳥取県立公文書館は「明治時代の鳥取県」(9月8日~10月23日)を開いています。公文書や新聞、写真などで維新から大正改元までの県政の歩みを紹介したもので、鳥取県にとっては廃止―再置など混迷、激動の時代でした。専門員・伊藤康さんのギャラリートークに参加しました。
 展示された資料は115点(初公開43点)。「鳥取県再置ノ件」の廟議議題(明治14年、国立公文書館所蔵)が目を引きます。太政大臣・三条実美や参議・山県有朋など5人が明治天皇に鳥取県再置の裁可を仰いだもので、その罫紙には「御巡幸中ニ付御裁可ノ御捺印ナシ」という張り紙もついています。形式的な会議だったことがうかがえます。
 それにしてもです。鳥取藩は鳥羽・伏見の戦いでいち早く薩摩・長州軍に加わり、その後の戊辰戦争でも大活躍しました。明治2年の版籍奉還も薩摩・長州・肥前・土佐に続く早さで実行しましたが、なぜか明治9年には島根県に併合させられてしまいました。
 伊藤さんは「権令・河田景与のあと県政の最高責任者になった参事の関義臣は明治5年、島根県を鳥取県に合併し、県庁を米子に移転するよう政府に願い出ており、これが逆手に取られたのでは」と推測しています。薩長が幅を利かす新政府。そこに人材を送れなかった鳥取県は混迷の時代を過ごします。今日の合区選挙区を暗示するような話です。
 再置後の初代県知事になったのは山田信道です。在任7年余り。士族の北海道移住や道路網の整備などを進めました。鳥取を去るにあたって、「脱却依頼心始為自治民」という書を残しています。依頼心を捨てて初めて県づくりができる、自立心が大事というわけですが、その掛け軸も展示されました。伊藤さんは言います。「いま県人口が55万人台になると騒いでいますが、明治末は45万人でした。そこから県勢は発展してきました」
 県政資料だけではなく、明治時代の県の基幹産業だった日野郡の「たたら製鉄」も紹介されています。圧巻は菰(こも)に包まれた玉鋼2包み。日野町根雨の鉄山師・近藤家に100年以上前から伝わる秘蔵品で、世界唯一の和鋼の塊です。近藤家には「たたら製鉄」の古文書10万点も残っており、県公文書館で解読、解明が進んでいます。日野郡の鉄づくりが明治の日本海軍を支えたとも言われています。
 日本海新聞は今年、創刊135年。その源流となる「山陰隔日新報」第壱号(明治16年6月28日)も東京大学明治新聞雑誌文庫から〝里帰り〟展示しました。日本海新聞の題号は、ここを起点にしています。

 ※写真上:どこにもない玉鋼を解説する伊藤康さん

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