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米子の日本遺産を歩く         米子観光まちづくり公社

2018年8月23日

 米子市の中心市街地で8月23日夕、加茂川まつりがありました。これに合わせて大山開山1300年祭記念事業・大山講座の「米子のお地蔵さんめぐり」も開かれました。約50人が参加し、米子観光まちづくり公社のみなさんが400年の歴史が残る米子の町を案内しました。新日本海新聞社、鳥取県社会福祉協議会など共催。
 大山は地蔵信仰の発祥地。生きとし生けるものすべてを救うという教えで全国に広まり、大山には全国規模の牛馬市が育ち、和牛づくりの礎になりました。また、米子の地蔵まつりは江戸時代に京都の地蔵盆の風習が里帰りして始まりました。このような大山とその山麓に伝わる数々の歴史文化が日本遺産に認定されました。
 一方、米子の町は吉川広家の米子城築城とともに始まりました。関ケ原の戦いの後、中村一忠の家老・横田内膳村詮が城づくり、城下町づくりを仕上げました。1602年ごろといいます。その後、一国一城令があり、米子城は城主不在ながら、明治の初めまで残りました。取り壊されなかった理由は不明ですが、「日本海を臨む海城としての価値が認められていたからでは」というのが専門家の推測です。
 その米子城の外堀が加茂川です。武家屋敷と町家を隔て、物資輸送の運河としても活用されました。町の出入り口となる橋のたもとには、お地蔵さまがまつられました。宮大工の彦祖が川で亡くなった子供を供養するために、ほこらを建て、36地蔵をまつったのが始まりといいます。米子は火事など大きな災害や戦災がなかったことから、町割りも地蔵も暮らしの小路も、ほとんど昔のまま残りました。
 米子の観光ガイドを運営する米子観光まちづくり公社・川越博行理事長は「加茂川沿いにはお地蔵さんが50体を超え、町家づくりも多く、小路も100カ所ほど残っています」と。周辺の町から商人を集めてできた米子の町が、いつしか山陰を代表する歴史文化の町に育っています。
 さて、加茂川沿いのお地蔵さんめぐりは小川雅さん、安藤和信さん、秋草治道さん、岡田信行さん、冨田彰さんの5人が案内しました。参加者は紺屋町や天神町など地蔵盆でにぎわう町々をおよそ2時間、5㎞歩き、米子400年の歴史や町並みなどを学びました。ゴールの加茂川広場では春蘭会(山岡福美子代表)の「米子が大好き」という加茂川音頭踊りを見学しました。米子暮らしが長いというご婦人は「知らないことばかりで勉強になりました。もっと、まち歩きしなくては」と話していました。

 ※写真上:米子地蔵巡りをガイドしたみなさん

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