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大山寺中興の祖・豪円を語る       吉島潤承さん・大原俊二さん

2018年5月13日

 大山開山1300年を記念して5月13日、大山寺中興の祖・豪円ゆかりの金山寺(岡山市)から大山寺に日本刺しゅうの般若心経が贈られました。これを祝って大山圏域の活性化を目指す大山悟道場(稲田二千武代表世話人)は、奉納式と帰山祭を開き、紙芝居やシンポジウムで豪円の功績を語り合い、学びました。
 「お帰りなさい豪円さん」というわけですが、豪円(1535~1611年)は戦国時代から江戸時代初めの天台宗の僧です。伯耆国汗入郡寺内村(現在米子市淀江町)の生まれ。大山寺や比叡山で修行し、織田信長の焼き討ちにあった延暦寺、火事で廃墟になった金山寺、戦乱などで荒廃した大山寺を次々に復興させてきました。
 豪円は比叡山延暦寺の復興では正親町天皇、豊臣秀吉、徳川家康などの支援を受け、備前の名刹・金山寺の再建は城主・宇喜多直家・忠家に頼み、大山寺は毛利元就や吉川広家などの後援と家康の3千石安堵の朱印状で乱世を乗り切ってきました。その政治力、行動力は見上げたものです。
 豪円は比叡山の大僧正に上り詰め、金山寺で76歳の生涯を閉じますが、秀吉の高松城水攻めでは雨乞い、広家が築城した米子城は湊山と名づけ、松江城落慶の折には祈祷札を収めるなど、数々のエピソードを残しています。
 帰山祭では、伯耆伝承隊の吉島潤承さんが豪円の生涯を電子紙芝居で紹介し、「名僧豪円をNHKの大河ドラマに推挙しよう」と呼びかけました。また、郷土史家の大原俊二さんらによるシンポジウムがあり、3山を復興した豪円の功績にうん蓄を傾けました。このなかで大原さんは、豪円が大山寺の中興の祖と呼ばれるわけについて、「豪円は信仰対象がバラバラで争いが絶えなかった大山の中門院・南光院・西明院を一つの宗教集団にまとめるため西楽院を設け、その初代座主についたが、寺領3千石の朱印状は、その西楽院に出されたものだった」と解説していました。
 寄贈の般若心経(縦45㎝、横60㎝)は日本刺しゅう協会の前副会長、山川かつ子さんが5年がかりで制作したもので、紺地に金糸で心経262文字はじめ276文字が縫い込まれており、大山寺は宝物館に展示し、公開するそうです。

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