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奥日野も〝鉄づくりの里〟  佐々木彬夫さん 杉原幹雄さん

2017年11月12日

 日野軍秋の陣「たたら古道ウォーク」が日南町であり、奥日野ガイド倶楽部の佐々木彬夫さんと伯耆国たたら顕彰会の杉原幹雄さんがガイドしました。松江市や境港市などから10人が参加。紅葉の古道を歩き、鉄の運搬などでにぎわった歴史を学びました。鳥取県社会福祉協議会・とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」共催。
 コースは、たたらの楽校大宮楽舎からJR上菅駅までの約11km。たたらの楽校では、杉原さんがたたら製鉄の原理や歴史を説明しました。それによると、中国山地は原料になる良質な砂鉄が多く採れ、森林も豊かだったことから、江戸時代中期には全国の鉄の約9割が生産されたといいます。奥出雲では藩の保護のもとに鉄づくりが行われましたが、奥日野は自由操業で大小20~30の鉄山師が競合するほど盛んだったそうです。また、砂鉄を採るために山を崩し、掘り出された大量の土で平坦な農地も多くでき、米の石高は1.4倍も増えたといいます。
 ただ、江戸時代末には安価な西洋鉄が輸入され始め、徐々にたたら製鉄は苦境に立たされ、多くの鉄山師が廃業していきます。そんななか、奥日野で唯一残った近藤家では、たたら製鉄の省力化を図り、明治27年頃には生産高の最高記録を打ち立てましたが、その後ドイツの技術を導入した八幡製鉄所が本格稼働を始めると、たたら製鉄は終焉へと向かいました。
 藩の保護があった奥出雲では、行政が日本の独自技術・たたら製鉄の功績をしっかり保存し、後世に伝えましたが、奥日野では保存が進まず、その産業遺産などが埋もれてしまいました。奥出雲がたたら製鉄で日本遺産に認定されるなど、和鉄づくりのスポットがなぜ出雲ばかりにあたるのか、その理由がここにあるようです。
 さて、古道ウォーク。こちらは佐々木さんが案内しました。たたら製鉄の終焉を迎えるまで操業していた吉鈩(よしだたら)などに立ち寄りながら、かつて鉄や資材や生活物資などを運んだ道をたどり、ゴールの上菅駅を目指しました。参加者は「たたら製鉄の歴史をもっと知りたい」と、その魅力にはまっている様子でした。
 たたら製鉄のルーツは古事記のヤマタノオロチ神話にも通じているとの説もあります。奥日野ではふいご祭りやフォーラムなどを開催し、壮大でロマンあふれるたたらの歴史をPR展開中です。

 ※写真下:案内板は古道の各所に設置されています

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