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出雲街道を歩く   奥日野ガイド俱楽部

2022年7月23日

 出雲街道は1928年に伯備線が開通するまで、約260年間に渡って山陰と山陽を結ぶ政治や経済、文化、信仰などの交流の道として、民衆や人馬と物資の往来で大変賑わいました。7月23日には奥日野ガイド俱楽部(代表 佐々木彬夫さん)主催で「出雲街道ウオーク」が開催され11名の参加者が開業100周年を迎える根雨駅を出発し、間地峠出茶屋旧跡まで往復の散策を楽しみました。
 当時を偲ばせるポイントをいくつか紹介します。根雨駅からほど近いところに道路拡張のため移設された石碑等が集められたところがあり、そのなかに「馬頭観世音」なる1メートル足らずの供養塔があります。八代将軍徳川吉宗の頃に大山の祭日を期して牛馬市を開いたのが大山牛馬市の起源で日本最大級を誇っていました。播磨国姫路を起点として美作国、伯耆国、出雲国と続く出雲街道は大山牛馬市への経路であり、途中亡くなった牛馬は手厚く葬られ供養されたそうです。江戸末期の建立と言われています。ガイドの佐々木彬夫さん、杉本準一さんの解説を聞き、今に残る一間(いっけん)に満たない道を歩くと牛馬が行き交った当時が偲ばれます。
 出雲街道はうなぎ流通のルートでもありました。当時のウナギは大変な貴重品で25人から30人ほどの集団が駆け足で運んだそうです。日野町舟場には用水から水を引く「ウナギ池」が残っています。京都の聖護院から御旗を受け取ると優先通行権が与えられていたと言いますから大変なものです。ちなみにウナギが池につかっている間、人足たちは立ったまま休息していたそうで、一刻も早くウナギを届けるハードな行程だったようです。
 間地峠は伯耆町二部から根雨に続く海抜479メートルの難所で茶屋がありましたが、そこまでの道程は急坂で登山のようでした。そうは言っても参勤交代の道ですから「流れ止め石」が配置され街道の維持と利用者の安全に配慮されていたことが伺えます。「間地峠出茶屋旧跡」では行き倒れの人たちを供養した「南無延命地蔵菩薩」を囲み記念撮影をしました。
 このほかにも舟場たたら跡で「ケラ」を拾ったり植物や地形等の説明を伺ったり、出雲街道を満喫したひとときでした。参加者からは「毎回参加しているが、景色や風が毎回ちがう。出雲街道の歴史を感じることができた。昔の人たちってすごいですね、自然のなか身も心に元気になった」と感想を述べられていました。
*写真は、馬頭観世音、ウナギ池、間地峠出茶屋旧跡「南無延命地蔵菩薩」を囲んで記念撮影等です。

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