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ええとこに住んじょる     伯耆書院

2021年3月07日

 鳥取県西部の書道グループ・伯耆書院(森田尾山主宰)は、皆生温泉開発100周年を記念して、3月9日まで米子市美術館で書院展「皆生温泉ものがたり」を開きました。文人墨客が訪れる皆生温泉は小説の舞台になったり、俳句や短歌などが多く残っていますが、それらの作品を紹介した書道展で、大勢の書道ファンでにぎわいました。
 皆生温泉は鳥取県を代表する温泉地です。日野川河口や美保湾の海辺に17の旅館・ホテルがあり、近年は年間40万人余りが入湯しています(鳥取県調べ)。
 その歴史は新しく、1900年(明治33年)に漁師が泉源を発見したのが始まりです。かねてから海に湯がわく「泡の湯」の存在が知られていましたが、日野川のたたら製鉄で運ばれてきた土砂で海辺が埋まり、この湯が利用できるようになりました。1921年(大正10年)に有松松太郎が会社をつくり、温泉と温泉街の開発に乗り出すとともに、米子と皆生温泉を結ぶ路面電車を整備し、発展しました。
 それから100年。この間、皆生海岸はたたら製鉄の廃業に伴って砂浜が侵食され、新たな泉源開発や護岸工事に追われるなど数々の危機がありました。路面電車は戦争に備えて廃止されましたが、戦前は山陰線に急行が走り、大山が国立公園になるなど明るい話題もありました。
 戦後、皆生海岸はテトラポットを積み重ねる離岸堤工事で砂浜がよみがえり、1978年(昭和53年)に海水浴場が復活しました。皆生温泉開発60周年の1981年(昭和56年)には、皆生の海や大山のふもとの自然を生かして日本初のトライアスロン大会が誕生しました。日本経済の高度成長もあって、昭和50年ごろの皆生温泉には50軒ほどの旅館・ホテルがあったといいます。
 皆生温泉を有名にしたのは、「ゲイシャ・ワルツ」で知られる神楽坂はん子さんが歌った「皆生小唄」も、そのひとつでしょう。「海に湯がわく伯耆の皆生 波の音さへ寝てゝ聞く」。野口雨情作詞、佐香博美作曲。詞は15番まであり、その一部をレコードにしました。1番は「伯耆」を「米子」に変えて歌い、米子の皆生を有名にしました。
 「皆生温泉ものがたり」の会場には伯耆書院の会員66人が82点の作品を出品しました。与謝野寛・晶子の短歌や高石ともやの「皆生トライアスロンの歌」などに加わって、地元の坪倉邑旭が詠んだ旅館名入りの俳句(昭和52年)や松田亀三郎の里謡「皆生温泉節」(大正12年)などが並び、来場者は皆生温泉100年の歴史を懐かしんでいました。
 伯耆書院を運営する森田さんは「皆生温泉、大山、美保湾、日野川、白砂青松、海や山や川の幸、歴史と文化、ホンに私たちはええとこに住んじょります。感謝しつつ、魂入れて作品にしました」と、会場を案内していました。 

森田尾山さん

にぎわう伯耆書院展

皆生小唄をかく

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