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伊能忠敬、西因幡を歩く        上田勝俊さん

2020年3月06日

 鳥取市西地区(旧青谷・気高・鹿野町)の交流拠点、鹿野往来交流館「童里夢」(長尾裕昭館長)は開館10年を記念して「伊能忠敬の足跡と古道」展を開いています。古地図コレクターの上田勝俊さん(鳥取市)が協力し、歴史ファンでにぎわっています。3月20日まで。
 伊能忠敬(1745~1818年)は日本全国を歩き、日本地図を作った江戸時代の人です。その「伊能図」(大日本沿海輿地全図)は、いまの日本地図とほとんど変わらず正確で、明治時代半ばまで使われました。
 伊能隊の全国測量は、1800年の蝦夷地測量を皮切りに、10次17年間にわたって続きました。測量は歩いて実測し、方位と角度を調べ、天体観測で誤差を修正するやり方で、その歩数はおよそ4千万歩、地球一周ほどの距離になったそうです。
 鳥取藩には2回訪れました。1806年に米子・境港―由良―橋津―鳥取―浦富―浜坂の海沿い、1813年に米子・大山―倉吉―三徳山―鳥取―智頭―津山の山間地を測量しました。測量日記によると、西因幡では青谷、芦崎、長尾鼻、浜村、鹿野などを歩き、芦崎では米屋伝兵衛宅、鹿野では草庭恵助宅に宿泊し、それぞれ天体観測もしています。商業が盛んだった鹿野では2泊しました。
 さて、「伊能忠敬の足跡と古道」展は、伊能忠敬研究会員でもある上田さんが集めた古地図や天球図、肖像画など、およそ50点が並びました。目を引いたのは、上田家に代々伝わる未完成の古星図です。初代天文方・渋川春海が作成した「天文成象図」の複写途中のもので、上田さんは「上方往来・河原宿の測量を本家にあたる宗旨庄屋の上田半兵衛が世話をしており、伊能隊の置き土産だったのではないか」とみています。上田さんの伊能研究のきっかけになったものといいます。
 三徳山―鹿野の古道もパネルで紹介しています。俵原(たわら)から滑石峠を下って、茂宇気神社近くに出てくる約4kmの古道で、往時は鳥取城下などからの三徳山詣でに利用されていたそうです。鹿野・旧河内村には警固屋という地名が伝わるなど、因幡・伯耆の国境の出入り口だったことを物語っています。この古道は佐谷峠を通る県道鳥取鹿野倉吉線の北側にあります。
 鹿野往来交流館の土橋達也さんは「古道は急坂の連続で険しい獣道ですが、定期的に草刈りなどをして整備したいものです。また、伊能隊は鹿野をしっかり測量調査しており、この展示で西因幡のいろいろを発見していただければ」と、多くの人の来場を期待していました。

上田勝俊さん(伊能忠敬の肖像画の前で)

上田勝俊さん企画の漫画「伊能忠敬物語・夢追い人」

鹿野・三朝古道のルート

「行基図」。「伊能図」ができるまでの日本地図だった

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