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夜見ヶ浜人の人骨を追う   伯耆文化研究会 会長 根平雄一郎さん

2024年11月23日

 11月23日、鳥取県境港商工会議所で第64回優良従業員表彰式があり、記念事業として伯耆文化研究会会長根平雄一郎さんの記念講演「幻の夜見ヶ浜人を追跡する」のお話がありました。
 根平さんは教職を退職後、「知的好奇心とチャレンジ精神」で境港に係る十余りのテーマの研究を進めており、その一つが「夜見ヶ浜人」です。
 1969年、境港市外江町の建設工事現場から後期旧石器時代2万~5万年前の女性の左顎と推定される骨が出土し、早稲田大学直良信夫教授(故人)が発表、「夜見ヶ浜人」と名付けられました。その後早大から東京大学に再鑑定を依頼し、所在が分からなくなっていました。
 根平さんが夜見ヶ浜人を知ったのは2006年の鳥大医学部井上貴央教授の講演でした。これを機に文献調査や早大、東大の関係者への聞き取り調査を進めましたが人骨の所在は一向に分かりません。ところが今年4月に早大考古学研究室長崎潤一教授から同研究室にあった段ボール箱に人の下顎の骨があることが分かり大きな転機となりました。
 昨年12月には再鑑定を依頼された東大から、その時に撮影された7枚の写真が提供されレプリカを作成、また、今年3月には追跡活動を記録した著書「まぼろしの夜見ヶ浜人」を出版し情報提供を求めました。
 現在、左顎の骨の年代確定を依頼中ですが、次のような理由があります。この骨が見つかった地層は9千年未満の後氷期のものであり旧石器時代のものではありえないという説と、手に取って観察すると化石化し黒褐色、部分的に黄褐色でずっしりと重く、見つかった場所は新しいかもしれないが、それは古い地層から洗い出されたものと解釈すべきという説です。
日本は酸性土壌のため旧石器時代の人や動物の骨は出土されないということも言われています。
 根平さんが左顎の骨と対面したのは今年4月、早大考古学研究室長崎教授から連絡があった3日後に同研究室を訪れた時でした。当時の様子を新聞投稿で次のように書かれています。「いよいよ夜見ヶ浜人とのご対面である。私は心臓の鼓動が高まる中、できるだけ平静を保とうとした。用意してきた白手袋を着用して、まずは両手を合わせた。考古学的に貴重な標本であるが、あくまでも女性の遺骨である。畏敬の念を保ちながら、プラスチックケースのふたを恐る恐る開けた」。18年間探し求めてきた根平さんの素直な気持ちが表れていると思います。
今後、放射性炭素による年代測定やDNA鑑定などが実施されます。鑑定には約2年間かかりますが、根平さんは急がずに鑑定結果を待ちたいと言われていました。
写真の説明:順に根平雄一郎さん、夜見ヶ浜人の下顎の骨(根平さん撮影)、講演会の様子です。

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