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「人は右、車は左」の対面通行     岩佐武彦さん

2021年3月06日

 「占領期の鳥取を学ぶ会」の報告会が3月6日、鳥取市の県立図書館であり、感染症対策はじめ、ネズミやハエなどの駆除に熱心に取り組んだ終戦直後の県民の様子を報告するとともに、米子市の岩佐武彦さん(伯耆文化研究会)は交通事故の多発で、「人は右、車は左」の対面交通になったいきさつを語りました。
 占領期の鳥取を学ぶ会(鳥取県公文書館、鳥取市歴史博物館主催)は、4年前の平成29年夏に発足しました。県史の空白がある終戦直後の鳥取県の実態を明らかにするため、連合国総司令部(GHQ)の軍政隊レポート(英文)を入手し、約20人の県民が加わって毎月、解読を進めているほか、当時を知る県民から体験談を聞いています。鳥取県社会福祉協議会・とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」共催。
 軍政隊レポートは昭和21年8月~24年11月の3年4カ月分(約700㌻)。鳥取市の翻訳家・澤田晶子さんを中心に、これまでに23年夏まで読み進めました。令和4年度には報告書にまとめ、県史の別冊として発行する予定です。
 この日の学ぶ会には県民40人が参加し、澤田さんが「占領期の鳥取の感染症対策」、岩佐さんが「進駐軍と軍政隊と私」、西村芳将さん(鳥取地域史研究会)が「鳥取軍政部の組織と人事」について、それぞれ報告しました。
 このうち、澤田さんは軍政隊レポートや県統計などをもとに、終戦直後に県内で発生した赤痢、ジフテリア、腸チフスなどの感染症対策や結核、性病などの取り組みを時系列にまとめて紹介しました。また、軍政隊が医療物資の確保や集団検診など公衆衛生の啓発に力を注ぐとともに、県の衛生部づくりをリードした足跡を報告しました。
 岩佐さんは昭和14年生まれ、終戦の時は6歳でした。父親が旧米子市役所前でカメラ店を営んでいたこともあって、小学生時代は進駐軍とともに過ごしたそうで、進駐軍のチョコレートは今より格段に甘かったといいます。
 当時、道路は未整備で歩道がなく、市役所前の国道も今より3分の1ほどの広さしかありませんでした。戦後は車が増えて交通事故も増えました。その対策のため、進駐軍は「人は右、車は左」の対面交通のルールを決め、警察官を動員し、飛行機で宣伝ビラをまいたものの、日本は江戸時代から「人も車も左側通行」。なかなか国民に対面通行のルールが浸透しなかったそうです。
 一説によると、進駐軍はアメリカ並みに「車は右側通行」にしたかったようですが、日本のバスの乗降口や信号機などは全て左側通行用になっており、資金面などで断念したといわれています。

「占領期の鳥取を学ぶ会」「占領期の鳥取を学ぶ会」の報告会の報告会

「占領期の鳥取を学ぶ会」の報告会

自宅カメラ店前で岩佐武彦少年(小学2~3年生のころ)

進駐軍家族(米子市役所前、昭和22年9月)

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