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鳥取県がよくわかる   石村隆男さん・黒田一正さん

2020年12月21日

 鳥取県経済同友会西部地区(松村順史代表幹事)はこのほど、日本最大の砂州で「国引き神話」の綱になった弓浜半島の成り立ちや歴史などをまとめた冊子「弓浜半島物語」を発行しました。鳥取県の発展史がよくわかると評判です。子どもたちのふるさと教育読本に活用してもらうため、県西部9市町村の小学校に贈ります。希望者にも300部限定で無料配布中です。
 編集したのは同会ふるさと教育委員長の石村隆男さんです。郷土史研究家の黒田一正さん(伯耆の古代を考える会)が主に古代から中世の歴史を担当しました。冊子は弓浜半島の地形や成り立ち▽古代の神話や地名考▽たたら製鉄の歴史▽弓浜半島開拓の歴史―など6章からなり、弓浜半島の歴史年表や用語集もつけています。B5判36㌻。
 弓浜半島はおよそ全長20㎞、幅4kmです。米子城跡・城下町や皆生温泉を根っこに、中海と美保湾を隔てるように美しい弧を描き、日本海の交流拠点・境港へと続いています。大山と一体となった景観が自慢で、白砂青松100選にも選ばれています。
 石村さんは「なぜ、その場所に弓形の半島ができたのか」疑問に思って調べたところ、弓浜半島が鳥取県や山陰の歴史、文化を開いてきたことがわかり、1年がかりで「弓浜半島物語」をまとめました。
 それによると、弓形の砂州をつくったのは日野川からの砂と美保湾流と東西の強風の合作です。島根半島と中国山地に挟まれた地溝帯(美保湾・中海・宍道湖)には、東西に風が吹いています。また、対馬海流は大山町あたりにぶつかって時計回りの美保湾をつくり、これに日野川からは日野郡などの鉄づくりに伴うかんな流しで大量の砂が供給され、弓浜半島が誕生しました。今から千年ほど前、平安時代のことです。
 砂地の弓浜半島は不毛の地でしたが、江戸時代に60年かけて農業用水・米川がつくられると入植者が増え、綿づくりの一大産地になりました。境港や美保関には北前船が入り、日野郡の鉄が綿とともに全国へ送り出され、鳥取藩の財政を支えました。明治時代の終わりごろ、山陰にも鉄道の時代が来ました。山陰の「文明開化」の始まりです。その発祥地は境港でした。観光ブームに乗って皆生温泉の開発も進み、米子市内には路面電車が走りました。
 日中戦争のころには皆生温泉に傷病兵の転地療養所ができ、米子医学専門学校(現・鳥取大学医学部)のルーツになりました。平坦な弓浜半島とあって、太平洋戦争のころには陸軍の両三柳飛行場(現・ゴルフ場と陸上自衛隊米子駐屯地)と海軍の美保飛行場(現・米子鬼太郎空港)、2つの空港ができました。米子鬼太郎空港は大型フェリーが入る境港とともに、山陰の国際化の窓口になっています。
 そして弓浜半島ではいま、近未来を開く大型バイオマス発電事業や遊休農地を活用した芝生産プロジェクトなどが進行中です。

石村隆男さんと冊子「ルーツ・弓浜半島物語」

大山から望む弓ヶ浜半島(写真はいずれも石村隆男さん提供)

米子市観光鳥瞰絵図(昭和11年)

米子陸軍飛行場

美保基地航空祭(昭和38年)

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