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山城合戦イベント  久松山を考える会

2020年11月23日

 鳥取市の歴史博物館「やまびこ館」は11月23日、鳥取城の攻防を再現する山城合戦イベントを開きました。400年ほど前の戦国時代、久松山・鳥取城であった〝渇え殺し〟や羽柴秀吉が布陣した本陣山・太閤ヶ平を知ってもらうのがねらいです。久松山を考える会(亀屋至郎会長)が協力しました。
 山城合戦イベントには小学生や家族連れなど約20人が参加しました。久松山山頂にある鳥取城山上の丸と、直線距離にして約1.5km離れた秀吉の本陣・太閤ヶ平の間で、太鼓やほら貝の音が聞こえるかどうかを体験するものです。久松山には考える会のメンバー、本陣山には参加者が登りました。
 この日は、あいにくの小雨で、山頂には霧も。合戦気分上々でしたが、音は雨に消されがち。それでも太鼓の音はしっかりと届きました。久松山から太鼓の音やハンドスピーカーを使った声が届くと、参加者からは「おお~」と声があがっていました。
 鳥取城の攻防戦は「鳥取の渇え殺し」として有名です。秀吉軍2万人は周到に因幡のコメを買い占めたうえで、太閤ヶ平を拠点に鳥取城を取り囲み、徹底した兵糧攻めを展開しました。昼夜を問わず鳥取城に鉄砲を撃ちかけ、大声を上げ、炊飯のにおいなども流したことでしょう。鳥取城内は1カ月ほどで餓死者が相次ぎ、籠城3カ月ほどで落城しましたが、生き残った兵士も開門後の給食で胃けいれんなどを起こし、たくさん死んだと伝えられています。
 鳥取市教育委員会の細田隆博さんによると、太閤ヶ平は織田信長を迎えるためにつくった陣で、何年もここで生活できるような御殿もあったといいます。その発掘調査が待たれるところですが、秀吉軍の土木建築集団の存在は、その後の天下統一の下支えになったといわれています。

ほら貝を吹く亀屋会長

太閤ヶ平を目指す参加者

久松山に向かって太鼓を鳴らします

太閤ヶ平から久松山を望む

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