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生涯現役まつり 新たなドラマ候補は亀井玆矩③ 『新たな候補作の選考会』

2020年10月31日

 いよいよ新たな候補作選びです。今年エントリーしたのは①西因幡で理想のクニづくりを進めた亀井玆矩の物語②悲運の初代鳥取城主・武田高信③鳥取藩の礎を築いた揚羽4代の物語―の3つです。いずれも戦国もの。これにちなんで、吟道翔風流日本吟翔会(佐藤翔風代表)のみなさんが、亀井玆矩・山中鹿介・吉川経家に寄せて戦国の武将を詠いました。佐藤代表のナレーションです。
 「鹿野には玆矩が統治した鹿野城があります。山中鹿介は玆矩の義父で、尼子家再興の旗のもと七難八苦の生涯を遂げ、鹿野の地に眠っています」
「羽柴秀吉は3万の大軍を率いて鳥取に攻め入りました。対する鳥取勢は多勢に無勢。衆寡敵せず、ろう城の末、城主吉川経家は自らの命と引きかえに多くの家臣を助け、自刃して果てました。35歳の生涯でありました」
 会場には朗々とした詩吟が流れ、気分は戦国時代に染まっていきます。そんなかで3題の発表が始まりました。発表したのは①道の駅西いなば気楽里(きらり)の駅長・徳岡義広さん②東郷地区ふるさと歴史委員会の木下登士彦さん③元小学校長で郷土史家の田中精夫さん―。それぞれの発表を聞いて、来場者の投票で候補作を決めます。会場は入場お断りの満席状態になっていました。
 亀井玆矩物語の大河ドラマ候補への挑戦は3回目です。あの歴史小説の大家・司馬遼太郎さんが「街道をゆく」で、亀井公の善政をほめているというのに、なかなか選ばれません。提案者も3人目です。今回は元市職員で鹿野ふるさとミュージカル世話役の徳岡さんが提案しました。
 徳岡さんは鹿野祭りから話を起こしました。祭りが似合う城下町や町並みづくり、空き家を利用した食事どころなどの整備が進んでいることや、創作ミュージカル、亀井さん検定などが次々に誕生している、いまの鹿野町を紹介しました。
 亀井家が鹿野を治めたのは、わずか37年間です。島根県・津和野に移ってから400年余りも経っています。それにもかかわらず、鹿野の人たちはいまでも「亀井さん」と呼んで親しんでいます。なぜでしょう。
 徳岡さんは自作の亀井玆矩の履歴書で説明しました。1557年、出雲の湯の庄(玉湯町)生まれ。年齢463歳。いまだに生きています。鹿野での主な仕事は日光池や湖山池の干拓、日野銀山の開発、村々の切らざる木の指定、大井出用水開設、御朱印貿易、ショウガや茶や薬草栽培、青島や長尾鼻での馬の放牧・飼育、海女漁の導入、お城を開放して敬老会、鹿野祭り…。「玆矩の玆に心をつけると、慈しみになる。名前のごとく、民を愛し、幸せを願ったお殿様でした」と解説しました。
 木下さんは県都鳥取の始まりは、久松山の初代城主になった武田高信だったことを明らかにしました。それによると、毛利勢に律義に従った高信は、布勢天神山城を攻略し、およそ10年間、鳥取城で因幡を支配しましたが、毛利・織田の覇権争いの中で、戦国大名にはなれませんでした。しかも武田一族は因幡民談記など江戸時代の書物によって、因幡の悪人にされたままといいます。
 木下さんは地元の東郷谷にひっそりとまつられている高信の奥方の墓の研究から、少ない記録を頼りに武田一族の名誉回復に乗り出しています。
 田中さんは歴史大河ドラマを推進する会の共同代表のひとりです。毎回、ドラマ候補を発掘、提案しています。今回は鳥取・岡山・姫路などを治めた、西国将軍・池田家の話を「揚羽4代」として発表しました。その治世の陰には池田恒興と養徳院、輝政と天球院、利隆・忠雄と督姫、光政・光仲と茶々姫のように、女性たちの支えがあったことを紹介しました。
 そして投票です。投票総数78票。亀井玆矩物語30票、初代鳥取城主・武田高信27票、揚羽4代21票。わずかの差で5つ目のドラマ候補が決まりました。
 鳥取地域史研究会代表の小山富見男さんは「亀井さんは鹿野のみなさんのなかに、いまも生きていることがよくわかりました。武田高信のことはほとんどの人が知らないので、画期的な発表になりました。さらに生涯学習を続け、郷土史を検証していきましょう」と講評していました。

鳥取ゆかりの戦国武将を詠う翔風流日本吟翔会のみなさん

徳岡義広さん

鹿野まつり

木下登士彦さん

田中精夫さん

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