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澤田家の人びと          高橋亮さん

2019年12月27日

 米子文学同人の高橋亮(本名・石原亮)さんが岩美町出身の外交官兄弟、澤田節蔵・廉三とその妻たちの評伝「澤田家の人びと」を12月に出版しました。澤田兄弟の物語は鳥取県の歴史大河ドラマ候補に選ばれていますが、高橋さんは「澤田家の人びとをなぞれば、日本の近代史もよくわかる」と出版に踏み切りました。郷土学習や歴史教育への活用が期待されます。
 高橋さんは澤田兄弟のドラマ化を目指す「三愛のクニへ」研究会(片山長生さん主宰)のメンバーです。国際連盟脱退に反対した節蔵、国際連合の初代大使になった廉三、その妻で戦争孤児救済に生涯を捧げた美喜。それぞれの評伝をもとに、関連資料を調べて「澤田家の人びと」にまとめました。B6判333㌻。400字原稿用紙364枚の大作です。
 「86歳でも、やればできるもんです」と高橋さん。日本の近代史を調べ、書き進むうちに、「近代史を通して語ったものが少なく、しかも日本の政治が右翼テロでゆがんでいったことに気づいた」そうで、出版を決意したといいます。
 さて、澤田兄弟が外交官になったのは明治末から大正初めです。日本があらゆる分野で西欧に追いつき、追い越せと励んでいたころです。日清・日露戦争に勝ち、第一次世界大戦も戦勝国側に加わったこともあって、だれもが列強国並みになったと錯覚します。しかし、国土が狭く、資源のない国です。これを克服するため、欧米にならって植民地獲得競争に参入します。おのずと欧米の既得権や野心とぶつかり、圧迫を受け、日本は国際連盟の常任理事国でありながら、脱退していきます。これに反対したのが節蔵です。高橋さんによると、日本の外交官でただ一人、おそらく当時の日本人でも、反対したのはただ一人だったのではないかといいます。
 こうして日本は第二次世界大戦に追いやられ、原子爆弾の惨禍をこうむることになります。高橋さんは幕末から続いてきたテロ行為が政治をゆがめ、その恐怖が政権の中枢にある人たちの判断をゆがめ、「決意なき開戦」につながっていったと考えています。異論や対抗勢力を暴力で抹殺してしまうテロ。大衆迎合や無関心も、結果として暴走をもたらしました。
 終戦までの日本は近代化を装いながら、女性には選挙権を認めず、土地所有は地主制度で、財閥系企業が産業資源を独占していました。政権は薩摩や長州の出身者が中枢を占め、軍部も政党もそれぞれ派閥をつくって複雑に結びつき、政権運営はめまぐるしく交代しました。
 こんな政治・社会情勢に「澤田家の人びと」もほんろうされます。「その姿をなぞれば、日本や世界の近代史も見えてきます」と高橋さん。高校生の歴史副読本におススメです。

高橋亮さん

大河ドラマ化が待たれる「三愛のクニへ」のポスター

澤田家の人びと

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