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日本刀始祖のふるさとは?       伯耆国たたら顕彰会ほか

2019年12月08日

 刀に反りを入れ、日本刀の始まりをつくったといわれる伯耆国(鳥取県中・西部)の刀鍛冶集団・伯耆(大原)安綱とその一門はどこにいたのか―。そのゆかりの地を2回にわたってめぐるバスツアーが始まりました。初回の12月8日は歴史ファンや刀剣女子など20人が参加して米子市と奥日野をめぐりました。最終回の15日は倉吉市や三朝町の県中部をめぐります。
 日本の刀剣は古くからあり、両刃で直刀でした。それに独特の反りが入り、片刃になったのは平安時代末からといいます。丹波大江山の酒呑童子を退治した「童子切」が有名です。伯耆安綱作です。源氏の宝剣になり、国宝(東京国立博物館蔵)になっています。鬼を斬った「鬼切丸」も安綱の代表作で重要文化財になっています(京都・北野天満宮蔵)。一門がつくった太刀は武家社会で尊ばれ、神にささげられました。 
 安綱やその一門はどのような集団だったのでしょう。関係文献がほとんどなく、謎に包まれています。その伝承地が米子市日下、伯耆町八郷、日野町上菅、日南町下阿毘縁、倉吉市大原などにあり、伯耆国たたら顕彰会(田貝英雄会長)の企画で現地を訪ねることにしました。
 米子市日下では石原慎吾さん(米子市社会福祉協議会事務局長)が安綱の息子とされる大原実森(真守)子孫の供養塔などを案内しました。その碑文や家系図のほかに、敷地内の発掘調査で鍛冶跡などが確認され、米子市は「伝承 日本刀発祥の地」という掲示板を設けたといいます。伯耆町八郷では中尾慶治郎さん(祐生出会いの館副館長)が巨石でつくった「大原古鍛冶発祥の地碑」を紹介し、「鍛冶集団を地域の誇りにしてきた証です」と解説していました。
 日野町上菅では小谷博徳さん(日野町議会議長)が出迎え、JR上菅駅裏の戦国時代の山城・菅ノ城について語りました。それによると、城主の息子が安綱に作刀の極意を学ぶとともに、安綱の娘を嫁にして帰ってきます。以来城下は刀づくりで繁盛し、仁徳のある奥方も花ノ御前と慕われました。城跡の近くには、夫妻をまつる大原神社が設けられ、没後千年余を経た今日も7月17日にはお祭りが続いているそうです。村を豊かにした刀づくり。村人たちは、いつまでも感謝の心を忘れていません。
 良質な砂鉄に恵まれた日南町には、大原の地名が何カ所もあります。そのうち、ツアーは阿毘縁を訪ねました。段々の田んぼが広がる深﨏地区には「百年ちょっと前、目の前はこんな風景だった!」という写真入りの大きな看板がありました。明治~大正時代の砂鉄採りの様子が説明されています。真砂土(風化花こう岩)の白い山を人力で崩し、かんな流しをしている写真です。伯耆国たたら顕彰会の杉原幹雄さんが「日南町にはかんな流しによって広大な農地ができました」と解説するとともに、安綱一門の屋敷跡伝承地やその山伏塚へ案内しました。

杉原幹雄さん(日南町阿毘縁)

伯耆安綱ゆかりの地めぐりのみなさん(米子市日下で)

伯耆安綱鍛刀伝承地碑が建つ伯耆町大原

大原刀匠夫妻をまつる神社(JR上菅駅の裏山)

山伏塚

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