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山陰のレオナルド・ダ・ヴィンチ     佐々木彬夫さん・杉谷愛象さん・高橋竫夫さん

2018年11月17日

 山陰のレオナルド・ダ・ヴィンチといわれる富次精斎の足跡をたどるツアーが11月17日にあり、富次精斎の足跡をたどる会の佐々木彬夫代表はじめ、杉谷愛象さん、高橋竫夫さんの3人がガイドしました。23名が参加し、米子市や日野郡などに残る精斎の作品を鑑賞しました。鳥取県社会福祉協議会・とっとりいきいきシニアバンク生涯現役共催。
 富次精斎(本名傳蔵、1856~1944年))は島根県井尻村(現伯太町)生まれ。幼少のころから木工指物に非凡な才がみられ、宮大工に弟子入り。地元の八幡宮や天満宮を建立した後、寺社建築の彫刻の重要性を痛感し、彫刻研究のため京都の高村光雲に弟子入り。光雲と兄弟の約束をするほど、その才能を認められます。
 帰郷したものの、財力不足の農村に仕事はなく、才能を持て余す日々が過ぎましたが、1905年頃に転機が訪れます。皇太子(後の大正天皇)行幸の米子市の宿舎「鳳翔閣」の建築を任され、名声は一気に上がり、大神山神社や根雨神社などを次々に手がけました。
 精斎は建築や彫刻以外にも風車式稲籾機(脱穀機の元祖)や曽木式製造機(製粉機の元祖)を考案するなど、発明家としても活躍。その多才ぶりはまさに“レオナルド・ダ・ヴィンチ”をほうふつとさせるものでした。
 これらの功績に光を当てたいと、精斎生誕160年にあたる2016年に中海圏域の3団体(安来市ボランティアの会、米子の宝88選実行委員会、奥日野ガイド俱楽部)が「富次精斎の足跡をたどる会」を立ち上げ、精斎の生誕地や作品が残されている山陰各地を巡っています。3回目にあたる今回は、大正から昭和初期にアトリエを構えたといわれる伯耆町の木嶋邸、深い彫りの欄間がある樂樂福(ささふく)神社、日野町の延暦寺、根雨神社、古民家沙々樹など9カ所を巡りました。
 ツアーには出雲大社の「平成の大遷宮」を手がけた宮大工・後藤史樹さんも参加しており、「曽祖父が精斎の弟子だったと聞いている。その縁もあり、今回ツアーに参加し、作品を拝見したが、どれも見事な作品ばかりだった」と感嘆していました。富次精斎の足跡をたどる会は「精斎の価値を多くの方に知ってもらいたい。そして後世にしっかりと伝えていきたい」と、その思いを強調していました。

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