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明治大と中央大と鳥取人           内田克彦さん

2018年11月09日

 鳥取市の尚徳大学は11月9日、市文化センターで郷土コースを開き、鳥取県ゆかりの大河ドラマを推進する会の共同代表・内田克彦さんが、明治大学をつくった岸本辰雄、中央大学をつくった奥田義人、2人の鳥取人を紹介しました。いずれも明治時代初めの創立ですが、両大学とも鳥取との縁が続いています。
 岸本辰雄(1851~1912年)と奥田義人(1860~1917年)は9つ違いですが、青少年期に明治維新を体験した同時代人です。ともに鳥取藩士の息子で、岸本は鳥取市上町、奥田は鳥取市栗谷町で生まれました。
 日本の近代化のなかで、2人は司法の道に進み、岸本はフランス留学を経て仲間とともに明治大学の前身・明治法律学校をつくります。民法、商法、破産法などの法律づくりに励むとともに、今の最高裁にあたる大審院の判事や東京弁護士会の会長として活躍します。奥田は中央大学の前身となる英吉利法律学校創設に参画するとともに、官僚として立身出世し、衆院議員、文部大臣、東京市長を歴任しました。
 内田さんは2人の足跡を年表に落として、それぞれのエピソードを紹介しました。それによると、明治維新直後、新政府は全国各藩から優秀な人材を「貢進生」として集めましたが、鳥取からは岸本のほかに河原町出身の村岡範為馳もいました。村岡は日本で最初にX線実験した物理学者です。
 岸本・奥田それぞれのグループが民法の制定をめぐって対立することもありました。「民法興りて忠孝廃れる」と主張した奥田グループが勝ち、帝国議会は民法・商法施行延期を決めますが、これによって明治法学校は生徒が集まらなくなり、経営難に陥ります。これを鳥取池田家が支えたといいます。
 明治大学校友会鳥取県支部は岸本の生誕地(やまびこ館駐車場)に看板を揚げるとともに、とりぎん文化会館前に顕彰碑を建立しています。奥田の胸像は県立図書館2階に展示されています。
 明治大学は鳥取県や鳥取大学と連携して日本海沖で未来のエネルギーといわれるメタンハイドレートの調査研究を進めています。中央大学も今年から鳥取県、公立環境大学と連携して共同研究などを準備中です。鳥取の先人2人の人脈が今も生き続けています。

 ※写真上:内田克彦さん

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