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赤碕塔は安部清明の供養塔          小谷惠造さん

2018年10月26日

 琴浦町の河本家住宅(国指定重要文化財)で秋の公開イベントがあり、最終日の10月26日、河本家保存会の小谷惠造会長が記念講演し、「花見潟墓地にある赤碕塔は安倍晴明の供養塔」と研究成果を発表しました。
 小谷会長の講演は「山岳仏教と船上山」がテーマ。「伯耆民談記」「大山雑考」「太平記」「赤碕郷土誌」「続日本後記」などの文献をもとに、船上山の山岳仏教や修験道、山伏について語りました。
 それによると、修験道は日本古来の山岳信仰が密教・道教・儒教の影響を受けて成立したもので、山岳修行で超自然力を得て呪術活動などを行います。大山や船上山の修験道は智積上人が開祖と伝えられていますが、とくに船上山には熊野権現がまつられ、大きな滝があり、修験者や山伏が盛んに訪れてきたようです。
 この修験道と似ているのが、中国伝来の陰陽道。天文学や特殊な占いで国家や人の行動の吉凶禍福を判定する方術で、奈良時代から多くの陰陽師が国の運営や地相を占ったといいます。最もよく知られているのが安倍晴明です。その安倍晴明も熊野で山林修行などしており、修験者や山伏に慕われていたそうです。
 六国史のひとつ、続日本後記には、平安時代に伯耆国八橋出身の陰陽師・春苑宿祢がいたことが記録されています。そんな縁があったせいか、赤碕の八幡町には「山伏松」という巨木があり、他国から来た山伏は必ずあいさつする習わしがあったという言い伝えも残されています。
 修験者や山伏の足跡が色濃く残る土地柄とあって、小谷会長が文献を精査したところ、江戸時代に発行された観光案内「伯陽六社道の記」や「伯路紀」(いずれも県立鳥取図書館蔵)から「清明だうまんの封じをけるよしにて石をたためる数尺の墳(つか)二つあり」という文面を見つけ、明治時代の赤碕郷土誌からも「御丈二丈ばかりなる石の大地蔵あり。このみぎわに清明道満の墓ふたばかあり」を確認し、花見潟墓地の赤碕塔が安部清明のもの、その近くの宝塔もやはり陰陽師の芦屋道満のものであることを突き止めたといいます。赤碕塔は鎌倉時代に建てられたもので、県の指定文化財になっていますが、だれが何のために建てたのか不明のままでした。
 小谷会長は「船上山にやってきた修験者や山伏が、2人の供養のために建てたものでしょう。清明ファンは多いので、せめて看板を立てて偉人を顕彰したいものです」と話していました。
 花見潟墓地(2ha、2万余基)は日本海に沿って広がる広大な墓地で、中世後半から始まったと伝えられています。日本の自然発生墓地では最大級のものと言われ、観光地になっています。

 ※写真上:小谷惠造さん

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