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世界の混血私生児40万人          小山富見男さん

2018年4月21日

 鳥取県退職公務員連盟の女性部(米澤洋子部長)は4月21日、鳥取市のとりぎん文化会館で市民公開講座「エリザベス・サンダース・ホーム物語~GHQの占領と澤田美喜」を開きました。郷土の歴史を知り、男女の役割を考えようというもので、元敬愛高校校長の小山富見男さんが講師となり、第2次世界大戦の占領期に世界の混血私生児が40万人も発生するなど、戦争の悲惨さを学びました。
 小山さんは新県史編さんの現代部会長。県公文書館や鳥取市歴史博物館の「占領期の鳥取に学ぶ会」で、連合国総司令部(GHQ)の軍政隊レポートをもとに、太平洋戦争直後の空白の県史解明を進めています。 
 講演で小山さんは戦時下の県内の出来事を紹介。満蒙開拓団や青少年義勇軍が満州などに出かけ、鳥取県の義勇軍は全国都道府県で最多の送出率だったこと、神戸市や兵庫県から県内各地に学童の集団疎開が行われたこと、鳥取市の市街地地図とともにB29の空襲予告があったこと―など異常な毎日だったことを伝えました。
 日本が占領されていたのは、昭和20年9月2日の降伏文書調印から昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約・日米安保条約発効までのおよそ6年半。この間、新憲法制定のほか、女性の解放、教育の民主化、労働者団結権の保障、農地解放、財閥解体などがありましたが、占領軍と日本人女性の間に戦後の落とし子、混血私生児が誕生し、社会問題化しました。昭和28年の厚生省調べだと、その数は約4千人とされていますが、少なくとも2万人はいたとする説もあります。
 小山さんによると、第2次世界大戦後に発生した混血私生児は、西ドイツに9万4千人、イタリアに2万5千人、日本が一時占領した東南アジアに7万5千人、世界中で合わせて40万人にのぼるとされています。
 この孤児救済に立ち上がったのが、岩美町出身の外交官・澤田廉三さんの妻・美喜さん。海運王で三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫で、神奈川県大磯の別荘に養護施設エリザベス・サンダース・ホームや聖ステパノ学校を設立。約2千人を養育し、アメリカへの養子縁組を数多く実現するとともに、ブラジルへの移住などで入所者の暮らしを守りました。
 また、澤田さんの別荘が岩美町熊井浜にあり、ホームの子どもたちが訪れて海水浴や地引網などを楽しみ、町民も温かく迎え入れて親しく交流したそうです。岩美中学では毎年のように、修学旅行で大磯を訪れ、美喜さんの功績を学んでいるといいます。小山さんは「いつの時代も、戦争を起こしてはなりません」と結びました。

 ※写真上:小山富見男さん

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