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活動紹介

2018年3月19日

 鳥取県経済同友会西部地区(松村順史代表幹事)は3月19日、米子市のANAクラウンプラザホテル米子で米子城フォーラムを開き、2つの天守がそびえた米子城や江戸時代の町並みを残す米子市街地の価値と魅力について討論し、「海に浮かぶ天空の米子城は米子の宝」と発信することを申し合わせました。
 フォーラムは米子城発掘を担当する市文化課学芸員の濱野浩美さん、同友会のふるさと教育特別委員長の石村隆男さんが米子城についてそれぞれ講演し、そのあと米子観光まちづくり公社理事長の川越博行さんとアニメやゲームをつくっている米子ガイナックス社長の赤井孝美さんが加わって、「大山を望む米子城と城下町」について討論しました。会場には大勢の歴史ファンが訪れ、耳を傾けました。
 米子城は応仁の乱のころに砦として築かれたのが始まりと伝えられ、出雲・西伯耆・隠岐の領主となった吉川広家が1591年ごろ築城を始め、安来市の月山富田城から移ってきます。関ヶ原の戦い(1600年)の後、吉川は岩国に転封となり、代わって中村一忠が5層と4層の2つの天守を持つ米子城と城下町を形づくりました。お城は一国一城令で壊されることなく明治初めまで残り、石垣だけになったしまったものの、戦国時代をいまに残す城郭として、平成18年に国史跡になりました。
 濱野さんによると、米子城は全方向に櫓を構え、全国でも珍しい「登り石垣」を設けるなど、城山のあちこちで防御の工夫が施され、謎多き城だといいます。また、湿地だった城下は山砂を1.5mほど埋め立てて整備したもので、その町割りは今もそのまま残っており、地下は江戸時代が眠った状態で、古絵図でまち歩きが楽しめる古都だそうです。
 石村さんは、吉川広家が米子城を中海そばの立山(湊山)に設けたのは、「大山とともに生きるまちづくり」の手本を示したものと紹介。港の確保や領国経営に加え、「霊峰大山から陽が昇り、中海・島根半島に日が沈む、東方浄瑠璃浄土・西方極楽浄土の両方に出会えるところだから」と、信仰の視点があったことを解説しました。
 吉川家文書によると、立山は当時、入山禁止の地で、大山寺の豪円の祈祷で霊力が除かれ、築城の運びになったと伝えられています。それにしても豪円は秀吉の備中高松城水攻めの雨乞いといい、国宝・松江城築城の祈祷といい、各地でその足跡を残しています。
 討論のなかで川越さんは、4層の天守は写真も図面も残っており、木造で復元可能と問題提起したうえで、「米子城取り壊しの際、風呂のたきぎになったというが、ウソだ。明治10年ごろに建てられた6棟の町家に転用されていることが古民家調査で分かった。米子城とともに売り出したい」と、まち歩きガイドの今後の取り組みを紹介していました。また、赤井さんは吉川広家の大河ドラマ化を提案していました。

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