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活動紹介

2017年12月06日

 米子市の淀江公民館宇田川分館で歴史講座があり、後藤俊夫さん(元米子市史編さん委員)が「宇田川平野の歴史」について講演しました。約20人が聴講。
 宇田川(淀江)平野は大山北ろくの扇状地で、壺瓶山(つぼかめやま)や孝霊山にはさまれた一帯。大山の豊富な伏流水がわき出る名水の郷として知られ、本宮の泉や天の真名井が有名です。これらを水源にして地域内には宇田川などが流れ、日本海に注いでいますが、縄文時代はその河口に大きな入り江があり、やがて砂でふさがれて淀江湖ができ、さらに上流からの土砂で湖が埋まり、平野が広がっていきました。
 中西尾地区からは小動物や魚を取るために使われたとみられる黒曜石の尖頭器が見つかっています。後藤さんによると、鳥取県内で尖頭器は19個見つかっていますが、18個までが大山山ろくで見つかっており、大山のすそ野が当時の人々の生活拠点だったのではないかとみています。
 水運や水に恵まれた淀江湖周辺は稲作の適地。弥生時代は妻木晩田遺跡(国史跡)のように大集落ができました。稲吉地区の角田(すみだ)遺跡からは太陽と思われる同心円や舟と舟をこぐ人、高楼などを線刻した壺型土器も見つかっています。この絵画をヒントに佐賀県吉野ヶ里遺跡の「物見やぐら」がつくられたといわれています。後藤さんによると、壺型土器はムラの長の棺としてつくられたもののようで、弥生時代の社会を写す貴重な出土品です。
 旧淀江町には約400基の古墳が確認されています。その代表が白鳳の里周辺の向山古墳群(国史跡)。古墳時代の終わりごろ(5世紀末~6世紀末)につくられた16基の古墳群からなり、石馬谷古墳からは「石馬」、長者ヶ平古墳からは金銅製の冠や環頭太刀、岩屋古墳からは切り石の石室のほかに、人物・水鳥・動物埴輪が見つかっており、これらは首長層の墓地群とみられています。
 「石馬」は大山の安山岩を丸彫りしたもので、ご当地産です。「石馬」は福岡県八女市の岩戸山古墳でも確認されていますが、見つかったのは全国でも2カ所だけ。後藤さんは「宇田川の豪族は直接大陸と交流し、優れた石材加工技術を持つ工人を連れ帰り、そんな集団が暮らしていた。大山の北ろくと出雲地方は切り石古墳が多く、共通の文化圏だった」と考えています。
 大和朝廷の中央集権国家づくりが進む中で、仏教信仰が盛んになり、各地の豪族は古墳の造営から寺院の建立に力を注ぎました。伯耆では大御堂廃寺(倉吉市)や斎尾廃寺(琴浦町)ができ、宇田川には上淀廃寺ができました(いずれも国史跡)。上淀廃寺跡からは国内最古級の仏教壁画片が大量に出土したほか、出雲地方最古の寺院・教昊(きょうこう)寺と同じ軒丸瓦も見つかっています。後藤さんは「上淀廃寺をつくったのは出雲地方とつながりのある豪族」と紹介していました。

 ※写真上:伯耆坊俊夫さん

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