とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」
0857-59-6336
お問合せ お気に入り

HOME活動紹介

活動紹介

2017年12月05日

 鳥取市民大学の歴史講座が市文化ホールであり、明治維新の魁・鳥取藩をPRしている映画監督の森本良和さんが「幕末の鳥取藩と西郷隆盛」について講演。約60人が聴講しました。
 森本さんは幕末の鳥取藩の動きを映画化しており、これまでに「鳥取勤王二十二士事件」「鳥取龍馬伝」などをつくり、このほど9作目の「官軍の魁~荒尾駿河の大英断~」を完成させました。鹿児島市訪問を重ねて制作したもので、西郷隆盛のひ孫などが登場します。平成30年は明治維新150周年。NHK大河ドラマ「西郷どん」の放送と合わせて注目されそうです。
 映画「官軍の魁」は天下分け目の鳥羽伏見の戦いの直前が舞台。西郷隆盛が岡山藩在京の家老・士倉修理之介に「荒尾駿河(鳥取藩在京家老、士倉の叔父)は本当に勤王に尽くすか」と問う手紙を送ります。将軍・徳川慶喜と鳥取藩池田家、岡山藩池田家は実の兄弟。荒尾駿河は孝明天皇に日参して話ができる間柄でした。そんな人間関係を推し量って出された手紙で、この手紙は鳥取市歴史博物館が入手し、近く公開される予定です。
 森本さんによると、鳥取藩と岡山藩を討幕派に引き入れるための西郷の調略の手紙だったとみています。鳥取・岡山の池田家は徳川幕府にとって毛利や島津など西日本の有力大名の押えとして配置していただけに、薩長にとって両池田家の取り込みは重大な関心事だったといいます。
 1868年1月3日、ついに鳥羽伏見の戦いが始まります。京都の鳥取藩邸は薩長か幕府かで激論となり、荒尾駿河のリードで薩長で決断。鳥取藩兵280人余が出陣し、1月5日に幕府軍と山崎で交戦、岡山藩は大津で戦いました。その夜、大久保利通は薩摩藩主の島津久光に「鳥取藩は間違いなく官軍に御座なく候」と報告しています。
 森本さんによると、鳥取藩の情報収集力は高く、薩長同盟の動きは鳥羽伏見の戦いの2年前、寺田屋事件の直後からつかんでいたといいます。寺田屋事件は薩長盟約を見届けた龍馬が長州藩士と祝杯を挙げていたところを襲われたもので、この時、龍馬は指に大けがを負って材木置き場に隠れ、やがて島津藩邸に逃げ込みますが、その潜伏場所が鳥取藩邸に近かったこともあって、いち早く情報をつかみ、国元に報告しています。その報告書「京坂書通写(けいはんしょつううつし)」が鳥取県立博物館にあることがわかり、近く公開される運びです。
 森本さんは言います。「明治維新の魁は薩長土肥ではなく、薩長因備。土佐藩は鳥羽伏見の戦いでは日和見を決め、最新兵器を持つ肥前藩は彰義隊との上野戦争からの参戦。徳川一門の両池田家が倒幕に加わり、維新の流れに弾みがついた」と。

 ※写真上:森本良和さん
  写真下:鹿児島取材の成果を伝える森本さん

一覧に戻る