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2017年11月15日

 鳥取市民大学は市文化センターで歴史講座を開き、郷土史家の田中精夫さんが「女性たちの池田家3代~鳥取・姫路・岡山をつなぐお姫様の物語~」について講演、約60人が聴講しました。
 池田家は滋賀県がルーツとされ、戦国の世を勝ち抜き、明治維新を迎えますが、テーマの池田家3代は草創期のおよそ120年が舞台です。織田信長の乳母・養徳院から始まり、豊臣秀吉や徳川家康が天下取りしていくなかで、一門は姫路・鳥取・岡山など西日本の拠点城主となって活躍し、度重なる国替えを経て、岡山藩祖・池田光政、鳥取藩祖・池田光仲が誕生していく物語です。
 この物語には信長―秀吉―家康のいわゆる〝戦国大河の主人公たち〟が総登場し、本能寺の変や清州会議、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦い、大坂の陣や荒木又右衛門の仇討ち、姫路・鳥取・岡山の国替えなどが次々展開します。そのなかで養徳院はじめ、その孫の輝政の奥方・督姫(家康の娘)、輝政の妹・天球院、光仲の奥方・茶々姫(紀州藩・徳川頼宣の娘、家康の孫)など、歴代の女性たちが波乱の池田家を支え、鳥取藩づくりに大きな足跡を残しました。
 2017年はちょうど、輝政の孫の光政が姫路から鳥取に国替えとなり、いまの鳥取県や鳥取市の基礎をつくってから400年に当たります。田中さんは「女性の視点で池田家3代をひも解けば、郷土の誇りが見えてくる」といいます。
 田中さんによると、本能寺の変後、次の天下人は秀吉とみた養徳院は、息子の恒興を励まし、山崎の合戦で明智光秀を討ち、清州会議では秀吉に組みして、池田家出世の端緒を開いたといいます。小牧・長久手の戦いで恒興は戦死したものの、跡を継いだ輝政は秀吉の命令で家康の娘・督姫を後妻に迎え、関ヶ原の戦いの論功行賞で姫路城を手に入れます。輝政・督姫の子どもたちも岡山、淡路などの城主となり、一門合わせて西国100万石の大々名になりました。
 剛腕を発揮したのが天球院です。関ヶ原の戦いの前に督姫は人質に取られましたが、その身代わりとなって救出したほか、姫路・鳥取の国替えにあたっては光政に鳥取城下の大拡張工事を示唆したといいます。天球院の子の荒尾但馬守成利は家老となり、池田家存続、鳥取・岡山の国替えを指揮し、光仲を補佐しました。
 鳥取池田家は光仲を始祖として、江戸時代は12代の慶徳まで続きます。池田家宗家となる光政は、日本最古の庶民の学校「閑谷学校」を開くなど、岡山で善政を行い、水戸藩主・徳川光圀、会津藩主・保科正之と並んで江戸の3名君と呼ばれました。
 田中さんは鳥取ゆかりの歴史大河ドラマ推進会の代表を務めており、澤田節蔵・廉三・美喜の外交官兄弟の物語や「赤とんぼの母」碧川かたのテレビドラマ化を目指しているところですが、女性が活躍した池田家3代にもスポットを当てたいとがんばっています。

 ※写真上:田中精夫さん
  写真下:池田家一門略系図(田中精夫さん作成)

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