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憶良の人物像に迫る   山上憶良の会

2024年6月08日

 伯耆国守であった万葉歌人山上憶良を顕彰する山上憶良の会(会長福井伸一郎さん)主催の講演会が6月8日、倉吉交流プラザでありました。「ロンドン憶良の語る山上憶良像と万葉の秘話」と題し、大杉耕一さんが憶良の人物像と時代背景を語りました。
 大杉さんは京都大学卒業後住友銀行入行、ロンドン勤務時代に我子を歌った「英校に通う吾子は邦字紙をたどたどしくもむさぼりて読む」「吾子二人蛙と蚤の役なれど天地創造高らかに唄う」の2首が朝日歌壇に入選、ついた綽名が「ロンドン憶良」でした。日常的に短歌を詠んでいなかった大杉さんは「突然、ほとばしる様に歌が出てきた」と言い、興味は万葉集、日本書紀、続日本紀、そして山上憶良の人物像等に向かいます。
 それから数十年真剣に勉強を重ねました。大杉さんは現在89歳、現役の漕艇シニアクルーで国際大会でも輝かしい成績を残しています。コロナのためにトレーニングもできない日々が続き、これまで勉強してきた万葉集をまとめようと「令和万葉秘帖」全6巻を書き上げました。
 山上憶良は無位無冠ながら外国語(漢語、韓国語)に堪能であり大宝律令を知悉していたことから遣唐使の録事に異例の抜擢をされます。40過ぎの憶良の遣唐使節(外交官)任命は世間を驚かせました。この遣唐使節の役割は白村江の戦いで大敗した日本が唐に対して国交の回復と大宝律令の説明、ならびに「日本国」の国名承認(それまでは倭国)であり、則天武后に対して外交を成功させました。ここから憶良の生涯は大きく転換していきます。
 帰国後従五位下の貴族に大抜擢されました。そして官職のない従五位下の下級貴族から、突然、官僚経験なしに大国である伯耆国の国守に抜擢されました。国守になりたい貴族が多い中で、憶良は羨望や嫉妬の的だったと推測されます。その時憶良は57歳、初老の憶良には気負いがなく部下の国司たちを優しく指導しただろうと、大杉さんは考えています。
 4年間の任務を終え都に帰った憶良は東宮侍講になります。将来天皇として心得ておくべき基本的な法令、特に大宝律令、遣唐使時代の経験などを直接皇太子に講義することは通常名門子弟が任命されるもので、平民出自の憶良が任じられたことも世間を驚かせました。
 山上憶良の歌人としての功績は語られますが、大杉さんはそれらと視点を異にしており、貴重なお話しを伺えました。「私は学者ではありません。市井の研究家ですので、今日のお話はここだけの話にしておいてください」と言われていました。実は憶良が伯耆国守として勤めた4年間の記録はほぼありません。そんななかで憶良の人物像を垣間見れたことに、歌人憶良の理解が深まることになりました。
写真の説明:大杉耕一さん、福井伸一郎さん、講演会の様子です。

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