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2022年5月04日
「森崎道安遺作展~命は命で守もの~」が西部ろうあ仲間サロン会1号館(米子市両三柳4571-10)で5月29日まで開催されています。5月4日、実姉福本真理子さんにお話を伺いました。
重度身体障がい者で四肢、体幹、言語機能に重い障害のある森崎が生まれて初めて、自分の足で大地を踏んだのは12歳のとき。自分の意志で動くのは左の足指のみの彼が、自作の足指に挟んだ自助具(両端にスプーンとフォークが付いた長い柄)で食事ができたのは15歳のときだったそうです。36歳で亡くなった彼の壮絶な人生はチャレンジの連続でした。
皆生養護学校高等部卒業記念の発表会の題材として彼は、障がい者が街なかでどんなふうに見られているかを試したそうです。40年前の話です。米子駅で転んだ保護帽をかぶった彼を助けようとする人は表れず、見かねて売店の人が助け起こしてくれたのが15分後。しかし彼はその事実を「もっと障がい者が街にでないからだ」と言ったそうです。彼の性格を垣間見る出来事です。
街に出る彼は多くの人と出会い、在宅障がい者の集い「かたつむりの会」結成に関わり、「米子障害者行動する会」では事務局長(のちに会長)を務めます。ボランティア組織「森崎道安応援する会」が結成され、米子市内で自立生活(一人暮らし)を始めます。
不随意運動のある彼ではあったが書、詩、油絵を愛し創作活動に入魂していきます。精緻なデッサン「筆絵をもつ足」、力強い書「風雲」など、彼が残した遺作が展示され「三十余年の命であったが、人生八十年分のエネルギーは消費していたに違いない」彼の人生が恐縮された遺作展です。
NPO法人西部ろうあ仲間サロン会は、高齢聴覚障がい者が気軽に集まりゆっくり過ごせる場所が欲しいと始まった取り組みで、福本さんは立ち上げの時から関わってきました。
「彼の姉として生まれてきたことを感謝している。『障がい児家族』の一員として育ったことを、誇りに思っている」と言い切る姉。「足はボクのいのち、絵はオレの恋人」と言っていた森崎の生涯を是非ご覧ください。
写真に遺作展パンフレットより、彼が50年前の養護学校時代に書いた詩〝命は命で守るもの〟を掲載しました。今への警鐘のようです。