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オリンピックがくれたもの      大杖正彦さん

2020年6月21日

 鳥取県立博物館の企画展「輝いていた1960年代」で6月21日、札幌五輪のスキー競技に選手出場した大杖正彦さんの特別講演「オリンピックがくれたもの」があり、大杖さんは「努力は天才に勝る」と五輪体験を語りました。
 大杖さんは姉・美保子さん、弟・二郎さんとともに、アルペンスキーの大杖3姉弟で鳴らし、国内外で活躍しました。とくに1964年の全日本スキー選手権大会は美保子さんが滑降と大回転、正彦さんが回転を制し、1968年も美保子・正彦さん姉弟はそれぞれ滑降で優勝しました。美保子さん(米子西高―日本大)は、この年のグルノーブル五輪に出場し、その4年後の札幌五輪(1972年)には正彦さん(米子工高―慶応大―デサント)が出場しました。正彦さんは札幌五輪の公式ポスターにもなりました。
 大杖さんによると、五輪出場前にスイスに3年間、スキー留学したのが大きな財産になったといいます。そのころのアルペンスキーはオーストリア、フランス、イタリアの牙城でしたが、札幌五輪でのスイスチームは男女6種目のうち、3つの金を獲得し、その技術力やチームワークが高く評価されたといいます。大杖さんはそこで鍛えられ、人脈を広げ、五輪後の全日本チームの指導に生かせたそうです。
 大杖さんの五輪の思い出はもう一つ。高校3年の時、東京五輪で聖火ランナーになり、米子市役所―勝田神社間を走ったことです。「すごい人でした」と、今でも鮮明に覚えています。1964年の全日本スキー選手権大会で招待の金メダリストに勝って、一躍〝時の人〟になり、栄光の正走者に選ばれました。
 大杖さんは子どものころや学生時代の思い出話もしました。子どものころはスキー漬けの暮らしで、夏休みには毎日のように大山山頂へジュースを運び、高校時代は週に一度、米子市から大山寺まで(約18km、標高差800m)走って帰宅していたそうで、足腰が鍛えられたといいます。「人に負けたくない一心でした。努力は天才に勝るということを知りました。私はオリンピックでたくさんの人生の宝物をいただきました」と話していました。

大杖正彦さん

札幌五輪のポスター(モデルは大杖正彦さん)

東京オリンピックの聖火ランナーになった大杖正彦さん(米子市役所、輝いていた1960年代展から)

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