HOME | 活動紹介
2019年10月26日
「麒麟獅子舞」文化圏が日本遺産になったのを記念して、鳥取県社会福祉協議会は10月26日、鳥取市青谷町で日本遺産めぐりをしました。観光ガイドの発掘、養成がねらいで、国府町に次いで2回目の開催です。参加者は北前船の跡地や青谷上寺地遺跡、山陰海岸ジオパークなどを回り、青谷の魅力を満喫しました。
参加したのは17人。青谷ガイドネットワークの河根裕二さん(青谷郷土館・青谷上寺地遺跡展示館の前館長)と長谷川正昭さん(勝部地域まちづくり協議会長)がガイドしました。青谷上寺地遺跡整備室の出前講座もありました。
鳥取県の海女漁の発祥地・夏泊漁港からスタートしました。戦国時代から江戸時代の初めにかけて千代川左岸を治めた亀井茲矩が朝鮮出兵の際、九州筑前・梶免村助右衛門という漁師を連れ帰り、その妻が海女漁を伝えたのが始まりといわれています。最盛期の1950年代には30人ほどの海女さんがいたそうで、「しぼりワカメ」が有名でした。2013年に組合が解散するまで、海女漁はおよそ400年間続きました。
NHKのテレビドラマ「あまちゃん」がきっかけになって、復活話が持ち上がりましたが、残念ながら先行きしませんでした。いまでは青谷郷土館の大型写真で、その勇姿にふれるしかありません。
夏泊漁港は長尾鼻の一角にあります。北西の風をさえぎる岩場にできた良港です。長尾鼻はかつて中国山地にあった火山から溶岩が流れ下ってできた台地です。固い安山岩でできており、板状の割れ目(板状節理)が発達しているのが特徴です。その割れ目から水がしみ出ており、水に恵まれたところです。そんな地質が青谷の歴史やジオパークの基盤をつくりました。
青谷は勝部川と日置川の2つの谷からなっています。その合流点から日本海までの川沿いに芦崎集落があり、江戸時代には船主の商家や鳥取藩の米蔵などが建ち並び、松田屋吉右衛門らが上方と青屋木綿などを取引していたといいます。芦崎夏泊両浦湊絵図や芦崎・湊神社への寄進物などが決め手になって、北前船ネットワークの日本遺産に認定されました。亀井公の朱印船貿易もここを拠点にしていたようです。
港湾集落といえば、そのルーツは青谷の入り海・潟湖を利用した青谷上寺地遺跡です。今からおよそ2千年ほど前、弥生時代から古墳時代にかけてあった遺跡で、日本海を通じて朝鮮半島や九州、北陸などと交易していたことがわかっています。
これまでの発掘調査で、ヒトの脳をはじめ、ヒトや動物の骨、卜骨、精巧な木製品、木造構造物、土器、農工具、鉄器、玉、中国の貨幣、琴など多種多様なものが出土。その保存状態の良さから「弥生の地下博物館」と呼ばれ、2008年に国史跡になり、2019年には出土品の1353点が国の重要文化財に指定されるなど、名実ともに日本の〝お宝遺跡〟になっています。
発掘調査は現在も続いています。港はどこにあったのか、どのような建物があったのか、住居はどこにあったのか―などを探しています。遺跡内からは低地盤を克服する工夫を施した道路が見つかり、近くの青谷横木遺跡からは古代山陰道と見られる道路跡や柳の街路樹跡、国内2例目の女人群像の板絵など貴重な発見が相次いでいます。港の物流に欠かせない、それらの古代道が低湿地でどうつながり、山越えしていたのか、関心を集めています。