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憶良の時代を大胆に推測、朗読会開催   山上憶良の会

2026年6月21日

 山上憶良の会(会長福井伸一郎さん)は6月21日、鳥取県倉吉交流プラザで朗読会「万葉集と鳥取~憶良と家持と東人~」を開催しました。同会は国守として伯耆国に赴任していた万葉歌人山上憶良を顕彰し、山上憶良短歌賞の創設、講演会、小学校での出前事業や作歌指導、大人のための短歌教室、書籍出版等を行っています。
山上憶良は伯耆国守、大伴家持は因幡国守として鳥取県に赴任していました。彼らは鳥取でどのように過ごしたのか。聖武天皇の侍講を務めた憶良と最期の見舞いをした河邊東人、憶良と出会った少年の家持は何を思ったであろうか。これらを大胆に推測した短編小説「万葉集と鳥取~憶良と家持と東人~」を朗読ボランティアのみなさんが語りました。ここでは憶良に関する一説を紹介します。
 国守の仕事は多岐に渡っています。律令の徹底、班田収授、税徴収、兵士徴集、干ばつ・飢饉・疫病対応や地域の巡業、風俗の記録、百姓の憂い苦しむことを知り農の功を勧め務めさせること等です。
 憶良が行った伯耆国巡業では「天神川を越えて久米郡の久米寺に着いた」「地元の人はこの寺を大御堂と呼んでいた。・・・西にはお椀を伏せた形のよい打吹山がたたずんでいる」と書かれています。鳥取県立美術館横の「大御堂廃寺跡」がその地で、国司の仕事に励む憶良の息づかいが伝わってくるようです。
 「貧窮(びんぐ)問答歌」は万葉集に収録されている憶良の代表的な歌で筑前国守を務めていた時に詠んだ歌とされています。「国への計帳には表せない本当の暮らしの実像を奏上する手立てはないものか」「憶良は、伯耆国の冬の厳しさの中で苦しむ農民の姿、税を取り立てていた役人の姿を思い浮かべ」詠んだと推測しています。
 高齢で伯耆国守になった憶良でしたが「良い国づくりをしようと務めたが・・・勤めが十分に果たせたとは言えぬ」と、国守としての苦悶と誠実な人物像を表しています。
 朗読ボランティアのみなさんは「人物の名前や漢字を読み下すことがたいへんだった」「憶良がいたらどんなふうに聞かれたんだろうなあ、はずかしい」と感想を述べながら生き生きとした憶良の時代に心を馳せていました。
写真の説明:朗読会の様子、書籍「因幡の家持と伯耆の憶良(令和3年9月発刊)」

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