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2026年6月11日
鳥取県境港市外江公民館主催の社会教育講座が6月11日に開催され、伯耆文化研究会会長根平雄一郎さんが講演しました。テーマは「風化させてはいけない『玉栄丸爆発事故』」、死者120人以上、当時の市街地の3分の1が撲滅した大きな事故でした。
1945年4月23日、境港大正町岸壁に停泊していた徴用船玉栄丸(たまえまる)は火薬、生ゴム、プロペラ等を運搬していましたが、火薬を積載していることは軍事機密とされ、兵士や倉庫に荷揚げする人たちには知らされていませんでした。このことが悲劇を生みます。
玉栄丸は本土決戦に備え、北朝鮮の羅津(ラジン)から火薬等を運搬していました。かん口令が敷かれ、境港で火事があったと新聞に小さく載る程度だったといいます。このため、爆発事故には多くの謎が残りました。玉栄丸の正しい名称、危険な作業を人家密集地で行ったこと、本当の犠牲者数、爆発の原因などです。
根平さんはその一つ一つを調べ上げていきます。証人を探したり記録を辿ったりと地道な作業の連続です。そして最大の謎であった爆発の原因については暁部隊幹部の証言により兵士の煙草の火が原因と突き止めました。船荷が何か知らされていないことが要因の悲劇でした。
船上で発生した火災が荷揚した物資を納めた倉庫に広がり最大の爆発が起こります。被害面積11万6千㎡、全壊家屋355戸、死者120名以上。直径50m、深さ15mの穴ができたことが事故の大きさを物語ります。
根平さんは調査と並行して戦災の継承と記録のため、日本海新聞への連載、書籍出版、小学生版絵物語出版、テレビ・ラジオでの特集・報道番組出演、学校、公民館・企業等での50回に及ぶ公演活動等です。
遺族である松篠佐紀子さんの証言により作成された小学生版絵物語のカラー版も上映されました。「AIは使いようによっては優れたもの」と言われるようにリアルで迫力ある絵物語でした。
外江は爆発事故があったところです。当時の写真に食い入る人や、悲しそうに見つめる人など、「知らなかった」という人が多い中でショッキングな講演だったと 思います。
爆発事故を体験した2名の方が参加されていました。当時5歳だった女性は「何が起こったのか分からなかったが、『逃げろ逃げろ』の声で外江の人たちは渡の方に逃げた。医院に運ばれたケガ人が道に溢れていた」と言います。「大きな音とともに火の玉が上がった」という証言もありました。
参加者は「知らなかった、体験者の話を聞けた貴重な時間だった」「根平さんが調べてくれたから知ることができた」と口々におっしゃていました。
「私たちは過去を変えることは出来ないが、未来は変えることが出来る」。玉栄丸の教訓あげ、終わりに根平さんが言われたメッセージです。
写真の説明:講演の様子のほか、爆発前の玉栄丸の船体、AIによりカラー化した爆発時の玉栄丸をあげています。