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わすれないでつづけていくこと 3.11フォーラム   とっとり震災支援連絡協議会

2025年3月15日

 東日本大震災から14年が経ちました。とっとり震災支援連絡協議会は3月15日、鳥取市のとりぎん文化会館で、「わすれないことつづけていくこと 3.11フォーラム 『災害』が私たちに訴えることは」を開催しました。
 冒頭に同連絡協議会佐藤淳子代表は「忘れないために毎年フォーラムを開催している。災害は頻繁におこっており、ご自分のこととして考えていただきたい」と訴えられました。
 まず、日野ボランティア・ネットワーク代表の山下弘彦さんが「能登半島地震の現状について」と題してお話されました。輪島市に入り、市社会福祉協議会と協力し活動したが「市社協職員も避難所生活や車中生活、社協に寝泊まりなど、改めてみんなが被災者ということを実感した」と述べられました。今回力を入れたのは「地域の訪問活動」、避難所ではなく自宅で生活している方々への訪問活動でした。ライフライン不全で買い物もできない。支援物資が届いていない。なによりも自宅にいるため情報がない」など、被害が少ないと考えられている方々の実情を紹介されました。
 次に気仙沼市階上(はしかみ)地域まちづくり振興協議会語り部部会、東日本大震災杉ノ下遺族会代表の小野寺敬子さんから「東日本大震災からの今・・・」と題してお話がありました。
2011年3月11日午後2時46分、小野塚さんは所用で買い物に出かけている際に地震が発生、四つん這いになり耐えるが地面が割れるのではないかと恐怖に襲われました。
母親を探しに指定された避難場所に向かうがいない。そこは海抜12メートルで過去の津波被害の経験から安全と思われていた場所ですが、後の情報で18メートルの津波に襲われたことが分かります。この避難場所に母親はいなかったため次の避難場所の中学校に向かいました。
押し寄せてくる津波が見える。後ろには軽トラックが続いているが、流されてしまった。「私の行動があと5秒遅かったら、今こうしてお話していることはなかった」とかみしめる様に言われました。
 父は近くに住む叔母を助けに向かったが津波に飲み込まれてしまった。遺体が見つかったのは5月になってからで、避難所の人たちから遺体が見つかり「おめでとう」の言葉が向けられたそうです。いとこ3人の遺体はまだ見つかっていません。
 4月に就職する息子の荷物は支援物資の衣類を入れた一つの紙袋のみ、避難所から旅立つ際には拍手で送られ涙が出るほどうれしかったそうです。
 避難所の同じ部屋で過ごした階上地区住民の声援です。ご近所の方々と一緒だったことに、どれだけ助けられたことかと振り返ります。
 小野寺さんは月命日の11日に杉ノ下遺族会が建立した東日本大震災慰霊碑の前で語り部としてお話されています。熱心に聞いてくれる修学旅行生は震災後に生まれた子どもたちで「自分のこととしてとらえて欲しい」「高いところに逃げると言うが具体的なことは想像できない」「まずは宿泊先のホテルでは避難経路の確認をしてほしい」と言います。
 昨年母親が亡くなられますが、何歳か訊ねると「78歳」と応えられたそうです。震災時の年齢から時が止まっています。
 小野寺さんは語り部を続ける理由を次のようにおっしゃっていました。「私は自分のために語り部を続けています。感謝の気持ちと縁を忘れないように」

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