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二部宿トコトン見て歩き      二部地区活性化推進機構

2017年6月03日

 歩く奥日野歴史講座の第4弾、「二部宿トコトン見て歩き」があり、大正時代まで日野郡の中心だった伯耆町二部を訪ねました。たたら製鉄や出雲街道の宿場町として栄えたところでしたが、日野川沿いに国道や鉄道ができるに連れて衰退していったといいます。地元の地域づくりに励む活性化推進機構(藤田常雄代表)のみなさんがガイドしました。
 二部地区は平安時代の日野郡野上郷のひとつ。大正時代は二部村、昭和の合併(昭和29年)で溝口町となり、平成の合併(平成17年)で岸本町と一緒になって西伯郡伯耆町になりました。
 地区内には出雲街道、富田街道、備後街道が通り、松江藩参勤交代の陣屋があり、たたらによる鉄づくりの拠点・福岡山製鉄所もあって、明治・大正時代の二部宿には、郡役所はじめ、14軒の旅館、3つの銀行、飲食店、呉服店、薬屋、荷物運搬の中継ぎ、馬方などがいて繁盛したそうで、そのころは130戸(いまは60戸)ほどあったといいます。
 藤田代表や歴史ガイド部会の忠田延雄さんらによると、二部宿にぎわいのもとをつくったのは足羽(あしわ)家。越前(福井県)の朝倉氏滅亡とともに二部に移り住み、砦を築いたのが始まりと伝えられています。それから17代、およそ400年余り。鉄山経営を家業とし、参勤交代の経費を負担し、大庄屋なども務めてきたといいます。
 分家の上足羽家も10代続き、代々医者となって地域の教育に尽力。堕胎防止や種痘予防、郷校開設などに取り組み、8代目の章兮は県会議長にもなっています。
 伯耆国たたら顕彰会の調べによると、伯耆町にはたたら遺跡が66カ所確認されています。このうち二部宿に近い三部・野上城跡からは戦国時代から江戸時代にかけての大規模な鋳物工房跡、福島・福島城跡からは平安時代から鎌倉時代に操業したとみられる炉跡などが見つかっており、足羽家のご先祖も競って鉄づくりに励んだことが想像されます。
 地域資源と人材に恵まれた二部宿でしたが、国道と鉄道が谷違いの日野川沿いに設けられてからは衰退の一方。藤田代表らは栄光の歴史を掘り起こして、「なんとか地域活性化を」と挑戦されています。
※写真上:二部地区活性化協議会の藤田代表(左)と忠田さん(右)
 写真下:奥日野歴史講座に参加のみなさん
     (辻晋堂の彫刻がある二部小学校前で)

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