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黒坂鏡山城下を歩く      杉本 準一さん

2017年5月13日

 鳥取県社会福祉協議会とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」共催事業「歩く奥日野歴史講座」の第2弾、日野町黒坂の鏡山城下神社・仏閣探訪会がありました。16人が参加。奥日野ガイド倶楽部の杉本準一さんが黒坂にある2つの神社、5つのお寺を案内。地元のコミュニティ推進協議会の中原明会長が同行支援しました。
 黒坂は奥日野の中心拠点。名和氏とつながりがある日野氏が治め、関ヶ原の役後の1610年には関一政が伊勢亀山から5万石で入り、鏡山に城を築きました。まちは日野川を外堀にした総構えで、それを囲むように5つの寺が配置されています。
 ただ、わずか8年で領地没収。城は1国1城令で廃されて陣屋となり、明治2年からは郡役所に転用されました。その跡地は日野高校の黒坂校舎(旧日野農林学校―旧日野産業高校)などに活用されています。
 奥日野は、たたら製鉄が盛ん。黒坂には平安時代、九州豊後から緒形氏が入り、鉄づくりで財を成しました。緒形一族は、産鉄後は養蚕業で地域経済をリードし、その足跡を正法寺に残しています。
 関一政が祈願所として造営したとされる泉龍寺には、鳥取藩の明治維新のドラマが伝わります。尊王攘夷の藩論がまとまらず、京都・本圀寺で刃傷事件を起こした因幡二十士が幽閉された寺。事件後150年になる平成25年には、攘夷、佐幕双方の遺族や関係者が集まり、法要を行うとともに、記念碑を建立しました。その記念碑には平井伸治知事が「平成維新」と揮毫。三島道秀住職は「小さくても国を動かした先達に続こうというメッセージ」と解説されていました。
 2018年は明治維新150周年。知れば知るほど奥深い黒坂城下です。
※写真上:杉本準一さん
 写真下:因幡二十士事件150周年記念碑(泉龍寺境内)

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