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文人あこがれの大山なのに・・・    竹内道夫さん

2017年3月18日

 「大山には日本を代表する小説家や歌人、俳人が続々訪れているのに、その記録も文学碑もほとんどありません」-。私たちの大山さん講座の最終回が米子市の日本海新聞西部本社であり、鳥取県の近代文学史研究家の竹内道夫さんが「神の山・大山さんは文人あこがれの山~文学にみる大山~」について講演し、「大山の素晴らしさに気づき、県民の宝をもっと自慢しよう」と呼びかけました。1月から6回にわたって続いた大山さん講座は毎回100人を超える受講生でにぎわい、全講座出席の塚田宗彦さん(米子市昭和町)ら50人に修了証が贈られました。
 竹内さんによると、大山を訪れ、作品に残した主な文人たちは大町桂月、田山花袋、木下利玄、島崎藤村、荻原井泉水、碧川企救男、与謝野寛・晶子、高浜虚子、志賀直哉、前川佐美雄、日野葦平、三好達治、水上勉、平岩弓枝、大江賢次、生田春月、井上靖、斎藤茂吉、司馬遼太郎など。
 このうち、美文家の大町桂月が紀行文集「一衰一笠(いっさいいちりゅう)」(明治34年)で、島根半島から美保湾ごしに眺めた大山について、「高尾山に登って夜見ケ浜を見下ろせば、天の橋立は見るに足りない」と指摘し、大山の景観が全国で一躍有名になったといいます。この「一衰一笠」は、当時の米子中学の生徒必携の書として利用されたそうです。
 また、俳誌「ホトトギス」を主宰する高浜虚子一行100人が大山吟行をした際、昼食に栗飯、とろろ汁、ウドの粕漬け、コウタケの白和え、大山豆腐などの精進料理でもてなしを受けたそうで、俳誌などで「都会では味わえない大山料理」が広く紹介されたといいます。この時の虚子の句「秋風の急に寒しや分の茶屋」が大山寺参道に建立されています。
 さらに、昭和の初めに新聞社が「日本新名勝俳句」を全国公募したところ、鳥取県の大山、三朝温泉、浦富海岸を含めて133景が選定され、寄せられた俳句は10万3千句余りにのぼったといいます。そのうちの20句が帝国風景院賞に選定され、米子市の安部東水さんの大山詠「笹鳴や春待ち給ふ仏達」が晴れて受賞し、その句碑も大山寺参道に設けられています。
 しかし、大山山麓にある文学碑は、この2つと地元出身の大江賢次と生田春月のものくらい。あとは大山登山道近くの蓮浄院跡に志賀直哉の「暗夜行路ゆかりの地」という石碑があるくらい。竹内さんは「鳥取砂丘や三朝温泉には、しっかり文学碑が整備されているのに、大山は皆無と言ってよい。日本に誇る県民の宝をもっと磨かなければ」と残念がっていました。

 ※写真上:竹内道夫さん
  写真下:大山講座修了証の贈呈式

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