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米子のまちは歴史博物館          川越博行さん

2017年3月11日

 「私たちの大山さん講座」5回目は米子市の日本海新聞西部本社であり、シニアバンク登録・米子下町観光ガイドの川越博行さん(米子の町家・町並み保存再生プロジェクト事務局長)が「米子・加茂川・日本遺産・地蔵めぐり」と題して、米子のまちの楽しい歩き方を解説しました。
 大山は平成28年4月に日本遺産に認定されました。日本遺産は地域の有形、無形の文化財をテーマでまとめて、その魅力を国内外に発信するもので、大山山麓の米子・大山・伯耆・江府の1市3町が「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」の物語で認定されました。米子市・加茂川沿いに伝わる地蔵信仰も、そのひとつです。
 川越さんによると、加茂川沿いのお地蔵さんは50体を超え、木造の地蔵を加えると2000体にのぼるといいます。中心市街地にたくさんの地蔵が集中している都市は全国的にも珍しいそうで、江戸時代の初め、400年前の町割りがそのまま残っているためといいます。
 米子のまちは応仁の乱で砦が築かれたころから始まるとされ、吉川広家や中村一忠・横田村詮によって、湊山の城郭や城下町の整備、加茂川の外堀化と運河活用、商人町、寺町など、いまの中心市街地が形づくられたといいます。
 川越さんによると、大山で発祥した地蔵信仰は庶民救済と現世利益で全国に広まり、やがて京都の地蔵盆の風習が発祥地の大山山麓に里帰り。「延命地蔵」「子安地蔵」「繁盛地蔵」などとなって、加茂川や米子城山などで盛んにまつられるようになったといいます。
 そんな米子のまちには、加茂川沿いを中心に町家づくりが多く、間口が狭くて低いものの、奥は大型の吹き抜け構造になっており、有形文化財にふさわしいものが少なくないといいます。また、生活に欠かせない小路も100ヵ所程度見つかっており、「米子のまちには昔がたくさん残っている」といいます。

 ※写真上:川越博行さん
  写真下:米子の咲い地蔵

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