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東日本大震災 鳥取県への避難経験者が語る   とっとり震災支援連絡協議会

2022年3月05日

 東日本大震災から11年がたちました。鳥取県に避難した人たちは何を感じていたのか、そして私たちがすべきこと、できることは何でしょうか。
 現在も支援活動を続ける「とっとり震災支援連絡協議会」は、3月5日に「体験者は語る!『私にとっての東日本大震災から10年』」を鳥取県生涯学習センターふれあい会館で開催しました。鳥取に避難していた片山春美さんと佐川晴香さんが福島からWeb参加です。
 会長の川西清美さんは冒頭のあいさつで「自然災害により福島で発生した原発事故の影響は10年たった今でも残っている。ところがウクライナではロシアが原発を攻撃と我々が目指すものとは逆行している」と懸念を示しました。
 まず片山さんからは、夏休み前に保育所からの連絡により全国の自治体が子どもを受け入れることを知り、夏休みの間だけでも避難したいと考えたが、短期的な受け入れが可能だったのが鳥取市だけだったという。農作物の汚染が母乳に与える影響を心配しての行動だったと言います。
 ネット上の掲示板で、川西会長の返信が早くていねいだったことが最終的に鳥取市への避難の決め手となったそうです。鳥取への移動費用や生活用品についても支援いただきありがたかった。鳥取に着き子どもたちが「ここの土は触っていいの」と言ったことが忘れられないと言われていました。
 佐川さんは出産後3日目に産院で被災されたそうです。地震に津波、原発事故が重なり「逃げないと死んでしまう。ミルクの確保、水はどうするんだ」、避難できない夫と離れ「一人で子どもを育てられるのか不安がつのった」と言います。その後も、1歳にならない子どもを連れての不安、体調悪化、夫と離れての二重生活の不安、放射能の農産物への影響など精神的な不安が増すなかで避難することに心を固めたのは年末のことだったそうです。避難受け入れを終了しているなかで鳥取市が受け入れてくれることを知り「わらをもすがる思いで」避難したそうです。
 震災の様子を繰り返し流すテレビもつらい経験がフラッシュバックされ「2年間見られなかった」とも言います。
 被災地に残ることも遠いところに避難することも苦渋の決断だったことが分かります。
 鳥取に避難したお二人が直面したことは「全く道が分からない、病院やスーパーはスマホを活用し探したが、土地勘がないことの不便さ」を身に沁みて感じられたそうです。
 様々な支援に対して「ありがたかった」という思いは大きいが、「つながる気持ち」を持ってもらい「普通に接して欲しい」、避難者としてではなく「人と人とのつながり」が持てたことを懐かしく話していました。
 終了後、Webカメラを通して再会を果たし、言葉を交わす皆さんのはち切れんばかりの笑顔が、私たちが経験した広域避難の残したもの、必要なことと実感しました。

Webスクリーンを見つめる川西会長

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