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芋代官井戸平左衛門の功績を学ぶ  境港歴史研究会根平雄一郎さん

2021年11月11日

 11月11日、境港老人福祉センターで境港楽連続講座「芋代官・井戸平左衛門正朋」をテーマに、境港歴史研究会代表根平雄一郎さんの講演がありました。
 芋代官については研究者・書籍も数多くありますが、根平さんからは鳥取県内に残る12基の芋代官碑の調査結果や現在も残る芋代官井戸平左衛門への感謝の風習などにつぃて講話がありました。
 井戸平左衛門は享保16(1731)年石見銀山の代官に着任、この年と翌年大凶作にみまわれます。井戸は薩摩より種芋100斤(60kg)を取り寄せ、栽培を奨励します。私財を投じ官倉を開き、官金を農民たちに施与しました。着任期間はわずか1年7月ですが、井戸への感謝の気持ちを表すため農民たちは芋代官碑を建立、なかには神として祀っている碑も残っています。
 なお、井戸が行った施策は、甘藷先生として名高い青木昆陽がサツマイモの普及を図った3年前のことでした。
 12碑のなかから2碑紹介します。
 「真砂神(境港市渡町・和田神社とんど場)」は、境港市最古、天保4(1834)年建立です。前には木製の鳥居もあり「芋神様」として、地域の人々から大切に祀られており、毎年9月初旬に渡7区自治会によってお祭りをしています。
 「泰雲院殿義岳良忠大居士(米子市葭津・元任宗寺)」は、明治24(1891)年に任宗寺堂主金龍山代が建設、実に井戸平左衛門が施策を実施した約160年後の建立です。毎年収穫した芋をささげて感謝祭を開催、「芋塚さん」と呼び、芋煮会を開いて井戸代官をしのんでいます。
 根平さんは「浜の芋太」についてふれました。砂地畑の境港では米作ができず、飢饉のたびに芋を食して生き延びてきたことから「浜の芋太は負のイメージがあるが、粘り強さや進取の気性が培われた。足立儀代松は交通も通信手段も未発達な明治中期にカナダに移民団を送っている。この地で育ったからこそできた偉業、浜の芋太は自慢していい」と語りました。

根平雄一郎さん

会場の様子

会場の様子

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