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日本初を成し遂げた鳥取の女性たちを紹介   地域研究家内田克彦さん

2021年11月06日

 地域研究家として鳥取のひと・もの・ことを研究し、鳥取の人たちに伝えたいと活動を続ける内田克彦さんの講演が、11月24日に仁風閣で開催されました。テーマは「時代を先駆けた鳥取ゆかりの女性たち」で6人の女性を紹介しました。
 内田さんは、国立国会図書館のデジタルコレクションや鳥取県立図書館などの蔵書を中心に情報を集め、時には親族や知人から直接話しを伺い活動しています。
 童謡赤とんぼを作詞した三木露風の母「碧川かた」は女性解放運動を展開し、女性参政権獲得のための日本初の団体「婦人参政同盟」を大正12(1923)年に結成し大正から昭和初期にかけて大きな働きをしました。「橋浦はる」は大正10(1921)年に女性による初の社会主義団体「赤瀾会」を結成、同年のメーデーでは先頭にたってデモを行い検束されますが、この時の写真が読売新聞に掲載され、日本で初めてメーデーに参加した女性として話題になりました。
 「中田正子」は女性に門戸が開放された高等試験司法科試験(現司法試験)に第一号として合格、鳥取県弁護士会会長を務めました。「河越照子」は報知新聞、萬朝報に日本初の女性新聞記者として勤務、翻訳小説3冊、創作探偵小説執筆と女性作家としても活躍しました。1962年に刊行された『記録現代史日本の百年⑥』(1938年東京朝日新聞社発行の『躍進五十年』から引用)には河越が日本初の女性記者と記されていますが、他の文献にあたると別の女性であったりと、あやふやなところがあります。内田さんは新たな情報を望んでいます。興味のある方は末尾記載の鳥取県社会福祉協議会シニアバンク担当までご連絡ください。
 「吉田喜久代」は昭和の初め日本初の農村訪問婦(のち規則改正により「保健婦」)として活動し、昭和12年(1937)に鳥取県が全国に先駆け設立した「社会保健委員養成所」の基礎を築いた人です。吉田喜久代研究会の佐々木美幸さんが今年6月、「使命 吉田喜久代-日本で最初の農村保健婦-」(今井出版)を出版、使命をもって活動した吉田喜久代と、埋もれたその生涯を記すことを自分の使命とし書き上げたドキュメント作品があることを紹介されました。
 「山根敏子」は日本初の女性外交官、外務省、在米日本大使館等で活躍しますが、国連日本政府代表部に勤務し日本の国連への正式加盟に尽力する澤田廉三初代国連大使(岩美町出身)のもと精力的に活動し、昭和31(1956)年8月帰国の際にアラスカ半島に飛行機が墜落し死去しました。鳥取市歴史博物館では生誕100年に合わせて「日本初女性外交官 山根敏子展」が11月13日から12月26日まで開催されます。
 *社会福祉法人鳥取県社会福祉協議会シニアバンク担当 0857-59-6336

地域研究家内田克彦さん

会場の様子

「使命 吉田喜久代」佐々木美幸著

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