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六代目桂文吾襲名 米子落語会開催   桂小文吾改メ六代目桂文吾

2021年9月04日

 米子落語会が、9月4日米子コンベンションセンター小ホールで開催されました。
 桂文吾さんは1937年に京都市に生まれ、14歳の時、五代目桂文吾に入門しました。少年落語家として宝塚落語会、三越落語会、京都の小屋などの高座に上がっていましたが、21歳の時、宝塚新芸座に役者として参加。1965年に皆生ヘルスランドに就職し、定年まで勤務しました。
 定年後、1995年より三代目桂米朝の励ましを受けて再び落語家に正式に復帰し、戦後間もなくの京都落語界で修業を積んだこともあり、現在の上方ではあまり高座に掛からない貴重なネタを多く引き継いでいます。
 落語会には、鳥取市出身・在住の桂吾空さん、桂小文三さん、桂あさ吉さん、露の団姫さん、桂文吾さんが高座を務めました。
 文吾さんは古い話であまり高座に上がらない一席、早とちりでそそっかしい殿様と家老田中三太夫のお話です。田中三太夫は国表から殿様あての書状を受け取り、慌てて殿様のもとを訪れる。ところが殿様から無理難題を仰せつかり、やはり早とちりでそそっかしい植木屋がからみ、いつしか書状のことを忘れてしまう。
 時間がたち思い出した田中三太夫は、国表から殿様の姉上が亡くなられたとの書状が届いたことを報告します。殿様から、いつ亡くなったかを問われるが覚えていない田中三太夫が、改めて書状を見ると「御殿様」ではなく「御貴殿」、つまり亡くなったのは田中三太夫の姉上だった。
 殿様に報告すると「私の姉上を殺す気か」と咎められ切腹を仰せつかるが、考え込んだ殿様から「切腹しなくてもよい、私には姉上はいなかった」と落ちがつくお話でした。
 芸歴70周年を機に、9月より師匠の名跡である文吾を襲名、9月30日には米子市文化ホールにおいて、落語会「文吾の会」が開催されます。襲名披露は来年春の開催を予定されています。

桂小文吾改メ六代目桂文吾さん

高座の名札立

桂文吾さんの高座の様子

米子落語会のチラシ

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